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藤田晋の成長学・教師編27 憎まれ始めるときりがない

 セオリー№27 カリスマより普通の人がいい

 教師に「スター性」は必要でしょうか?

 ときどき現場をやめて講演などで食べ始める「カリスマ」は別として、現場にそういう人間は常に必要でしょうか。

 学園ドラマの主人公(としての教師)には、スター性や、独特の個性が必要でしょうが、実際の教育現場はどうでしょう。

 子どもたち(の一部)は、家庭でのやりきれない思いを、素直に学校の教師やクラスメイトにぶつけていきます。

 それをどう解消するか、を焚きつけるか、昇華させるか、封じ込めるか、かきまわすか・・・・・教師には、様々な「失敗」を犯す人がいてはじめて、子どもが大きく成長できるきっかけをつかむ・・・・というドラマめいた役割があることに、私は10年目くらいでようやく気付きました。

 たいてい、親を見れば子どもはどのような対応が適したタイプなのかが分かりますが、親が「良い子」のふりをしていると、大きな「誤り」を犯すことになります。

 教師をステレオタイプで見てしまうような人は、「管理」という言葉に過剰反応して、一定の「モデル」を想定してしまう傾向があります。

 「管理」にもあらゆる方法があって、それを子ども別、学年別に使い分けているということは、いつも顔を合わせている子どもは分かっていながらも、めったに会わない親は「イメージ先行」で自分なりの「ストーリー」を作り上げてしまいます。

 これは何の利益にもなりませんから、親からは「普通の人」=「評価のしようがない人」と見られているのがベストなのかもしれません。

 マイナス評価も今ひとつ。

 期待が実態を上回っているのも今ひとつ。

 「普通」が一番?

 藤田社長の一言。

 「カリスマ性がありますね」と言われるより、「意外と普通ですね」と言われる方が私にとってはよほどうれしいですね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より