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藤田晋の成長学・教師編34 笑顔を読めて笑顔で語れる教師

 セオリー№34 コミュニケーション能力は笑顔で分かる

 子どもの笑顔というのは、教師にとっては「栄養剤・強壮剤」のようなものです。

 もらうだけもらって、子どもには与えない・・・そういうことも少なくないでしょう。

 笑顔には、何種類のタイプがあるでしょうか。

 それらによって、どんなコミュニケーションが相手ととれるのでしょうか。

 そんなことを考えていると、「笑顔で語る」という文化は、どの国にも共通したものだろうか?という疑問が湧いてきます。

 「言葉に出さないと分からない」ということを強く求める文化の国では、おそらく「笑顔」の種類も少ないのでは?

 「日本人の微笑は不気味」という感覚は、やはり相手の文化次第なのでは?

 ・・・最近、子どもが語っているのを「読めた」笑顔とは・・・・

 「私たちは知っているよね」

 「ああ、あの人のことね」

 「うーん、困ったな」

 「へへ、ごめんなさい」

 「あっ、ばれてましたか?」

 「期待しないでくださいね」

 「ああ、怒られないでよかった~」

 「うんうん、その通りです」

 「ほっとしました」

 ・・・こういうことを「読める」能力があるのとないのでは、大違いでしょう。

 相手が「読んでくれている」と信じているこちら側の笑顔の意図は・・・
 
 「頼むからしっかりしてくれ!」

 「またやっちゃったんだな」

 「許してあげるよ」

 「それ、おもしろいアイデア」

 「よろしくね」

 「なるほど、同意します」

 「ほんとにまずいんだよね、それは」

 「今日は親とけんかしなかったんだね」

 「それでもいいの?」

 「やっぱり、まずいでしょう」

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より