藤田晋の成長学・教師編26 学ぶプロとして謙虚に
セオリー№26 見栄を張る人に大事な仕事は任せられない
エッセンスは、「知らないことは知らない」「分からないことは分からない」と言える勇気、そして「教えをこう」謙虚さ、それが大事だということでしょう。
同僚に対して謙虚な態度をとれても、生徒に対して謙虚に接することができるか・・・?そもそも、謙虚に接するという相手ではないのではないか・・・?
教師は、教えるよりも、学ぶプロであることの方が大事である・・・という考え方があります。
子どもから学べる教師は、成長の速度をどんどん上げられる教師でしょう。
「教える」行為は、楽しく、うれしいものです。相手が真剣に聞いてくれればくれるほど。
だから授業で「話しまくっていい気分になる」ことで満足してしまう教師が、落ち着いた学校ではとても多いのでしょう。
そういう気分を「自分が」ではなく、子どもの方に味わわせることが、子どもにとっての成長のチャンスにもなるわけです。
子どもを成長させるのが、教師の役割です。
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