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藤田晋の成長学・教師編26 学ぶプロとして謙虚に

 セオリー№26 見栄を張る人に大事な仕事は任せられない

 エッセンスは、「知らないことは知らない」「分からないことは分からない」と言える勇気、そして「教えをこう」謙虚さ、それが大事だということでしょう。

 同僚に対して謙虚な態度をとれても、生徒に対して謙虚に接することができるか・・・?そもそも、謙虚に接するという相手ではないのではないか・・・?

 教師は、教えるよりも、学ぶプロであることの方が大事である・・・という考え方があります。

 子どもから学べる教師は、成長の速度をどんどん上げられる教師でしょう。

 「教える」行為は、楽しく、うれしいものです。相手が真剣に聞いてくれればくれるほど。

 だから授業で「話しまくっていい気分になる」ことで満足してしまう教師が、落ち着いた学校ではとても多いのでしょう。

 そういう気分を「自分が」ではなく、子どもの方に味わわせることが、子どもにとっての成長のチャンスにもなるわけです。

 子どもを成長させるのが、教師の役割です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より