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藤田晋の成長学・教師編25 劣等感による刺激はバネになるか?

 セオリー№25 劣等感は思い込みに過ぎない

 絶対評価というのは、難しいものです。

 教師になったばかりの人は、あの「楽な」相対評価の作業を知らないかもしれないので、たいへんな思いをしているかもしれません。

 一日も早く解放してあげたいものです。
 
 そもそも、相当の目をもっていなければ、人間の能力というのは測れないものです。

 どんなに経験を積んだとしても、本当は、人間の能力というのは簡単には測れない、そういう前提が教育界には欠けています。
 
 観点を分けたとしても、評価は難しいものです。

 観点は、指導上の配慮事項として、あるいは学習の過程で指導の軌道修正をする材料にするための評価としては役に立つものですが、学習の結果、どうなったかということを判断するのを、すべて指導者に押しつけるのは酷なことです。

 絶対評価のよさは、たとえば、みんながみんなできないのに、その中でもちょっとだけリードしている人が、「トップで優秀」などという扱いを受けないですむこと、みんながみんなできているときは、みんなが「優秀」だという評価が得られることです。
 
 相対評価のよさは、誰の目からも結果が明らかで分かりやすく、納得がいくことです。

 「偏差値」ほど分かりやすく、目標を設定しやすいものはありません。

 絶対評価の発想のよさは、劣等感を克服するために努力しなければならないのは自分だ、という自覚を高められることです。

 相対評価の問題は、自分がいくら努力しても、上にいる人は追い抜けないという絶望感を生むことです。

 「劣等感は自分の思い込みに過ぎない」と「思い込む」ことが大事です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より