藤田晋の成長学・教師編22 教師にとっての競争と忍耐
セオリー№22 忍耐力のない人が最初に脱落する
基本的に、教師には「競争がない」と思っていませんか?
「競争」とは何か、を明らかにしておかないといけないのですが、たとえば管理職試験を受けたりするときは、受かる人と落ちる人がいますから、これは「競争」に該当します。
「競争」と言えば「点数化」すると分かりやすい。では、教師には「点数」がつけられるのか?
人事考課(業績評価)では、S・A・B・C・・・と「成績」がつけられます。
ほとんどがBなので、特に優れている人と問題がある人だけ分かればいいのでは?という考え方もあるのですが、異動のときの資料になるので、観点別にしっかり評価されることになっています。
これを給与に反映させることで、力のある人に「むくいる」という発想が提言され、実行されていますが、該当する人はごくわずかなので、日常的にはほとんど意識されないでしょう。
やっぱり、「競争」はないのか・・・?
でも、「競争」が嫌いな人もいますが、自分が得意な分野とか、自分が育ててきた子どもたちが「競う」場面がでてくると、人間は不思議とやる気が出てきてしまったりします。
運動会で盛り上がり、合唱コンクールを鞭を打ち・・・。
○組に勝ったと喜び、学年で○位だったと悲しみ・・・。
「勝ち負けにこだわる」という姿勢も、「勝ち負けにはこだわらない」という姿勢も、どちらも絶対悪とは言えません。ケースバイケースです。
「競争が嫌い」という場合、「負けるのが嫌」というのが主原因になっている人が多いのでは?
だから「勝てると分かっている場合」には、「やってみるか」という気持ちになってしまう・・・。
動機づけの手段としては邪道なように見えて、実は本質をついているようなケースもある・・・。
話がそれました。
もし、異動先を自由に希望できる仕組みができたとしましょう。「公募形式」のようなものです。
希望が多ければ、「選抜」の必要が出てきます。
ここで、「自分が優れている点」をPRできるかどうか。「学校が求めている人材」に自分がどれだけ合っているかを伝えられるかどうか。
・・・でも、公務員なら、全体の奉仕者なんだから、自分がどこに行きたいという希望を言うのはおかしいのでは?というのも正論でしょう。・・・で。やっぱり「競争」はなくなる?
ここでの話は「自己成長を促すセオリー」なので、「競争」はするのが前提、という話で進めると、教師の場合は「自分とのたたかい」を想定すればいいのでは?
そして、企業社会のセオリーを参考に、いくつかのモットーを持っておく。
企業社会で「脱落」していくワースト1は、「忍耐力のない人」、続いて「目標設定の低い人」、「変化できない頑固な人」と書かれています。
単純に、教育現場でも「困った人」の3パターンですね。
教師にとって必要な「忍耐力」とは何でしょう。
対・子ども、対・保護者のことがすっと念頭に浮かんだかもしれませんが、ここでは「教師バッシング」を想定すればいいと思います。
教育の仕事は、すぐに成果が出せませんが、出せないことに甘えるわけにもいかない仕事でもあります。
バッシング=悪と一面的にとらえず、逆を実現すれば信頼が高まる、という発想で、地道にやっていく、やり続ける、やっていることを伝え続ける・・・そういう姿勢が大事である・・・とこのブログでは訴え続けております。
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