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藤田晋の成長学・教師編30 「分かりやすい生徒」の指導

 セオリー№30 自己主張する部下ほど抜擢されやすい

 企業社会では、会社を辞めるときに、「実はこういう仕事がしたかった」ということを言い出す人がいるそうです。

 学校社会はそれほど複雑ではありませんから、基本的にはだれがどのような教師かは見えやすくなっているはずです。

 しかし、ごくまれに、「何を考えているのか分からない」という教師が存在します。

 上司だけでなく、同僚にとっても、子どもたちにとっても、ときにやっかいな存在になります。

 子どもにとっては、「冒険心を刺激する」対象になりうるかもしれませんが・・・。

 今、学校の教師が管理職とコミュニケーションをとるときに、たとえば年度の目標を決める自己申告書づくりの面接で、必ず「やりたいこと」はPRできます。

 そういう機会だけでなく、研究や生徒指導の組織の中で、どんどん新しいアイデアを出していくことが大切でしょう。

 しっかり手続きを踏んで、実行に移すことも大切です。

 教師はどちらかというと、子どもたちの個人の欲求を満たそうとする自己主張に手を焼く存在であるわけですが・・・。逆に、そういう生徒の「分かりやすい」ことを存分に利用して、コミュニケーションがとれるということもあります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より