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ふり返り366日【08/7/21-2】/昭和19年に禁止されたもの

 授業が何のためにあり、何を我慢しなければいけないのか、子どもはよくわかっています。
 
 しかし、「テストのため」「進学のため」「受験のため」と割り切っているのは子どもよりむしろ親なのかもしれません。点数や成績だけを評価材料としがちです(というか手元にはそれしか来ないので、無理もありません。ただ、そういう親が学校を責める口実をなくすために、教科所見のある通知表を導入したことがあるのは以前も述べました)。

 自腹を切って相談している教育産業の人の言うことを軽く扱えるわけもなく、ただただ振り回されるばかりの親を何人も見てきました。

 子どものことがよくわかっているようで、実は全くわかっていない。

 どこか遠くを見続けている人が重しになっている子どもがどれだけ多いことか。

 あるプロジェクトで、教育産業の方々に振り回されないですむ情報提供の在り方を検討材料にすることを提案します。こういうタイプの情報提供は、教育産業の内部でも繰り広げられているようで、その泥沼から引き上げられるような方法を検討したいところです。

 しかし、頼る相手を誤ることがどれだけの悲劇を生むとは・・・、教育現場にいないと実感できないことでしょうね。

08/7/21 教師をためして遊ぶ質問への反撃  子どもの遊び?の中に、教師にちょっと変わった質問をして、まじめに考えてくれるかどうかをためすというものがあります。  そこでふと、教師という職業の人間は、授業などでよく子どもに「発問」「質問」をしますが、本当に質問をするのが得意であると言えるのか?という問題が頭をよぎりました。  教師がしている「発問」「質問」の効果とは何か?  また、質問を受けたとき、それに答えることが得意であるのかどうか?  私は試験問題でときどき、まとまった文章を読ませて、「この文章はどのような問いに対して答えられたものと考えられるか。その問いを書け。」と聞く問題を出します。  論述問題はどうしても難易度が上がりがちですが、この問題もけっこうハードルが高く、ツボをしっかりおさえた「明確な問い」はすべての生徒が書けるわけではありません。  しかし、問うことから学びは始まる、という原則を重視するためには、欠かせない出題となります。  最初の話に戻りますが、「茶」という漢字以外で、「チャ」という読みの漢字はあるか?というのが生徒の質問でした。  ちょっとひねって「キカイ」の「キ」の字と答えましたが、これは生徒の頭を悩ませる反撃材料になったようです。

*******************

昭和19年に廃止・中止・禁止・制限されたもの。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 ○軍需省、東北地方北部を除く本州全域に5段階、最高40%の電力制限を実施。
 ○スイカ、メロンなどの作付けが禁止。
 ○鉄道省・東京都庁・金融機関などが日曜休日を廃止。各官庁は第1・第3日曜日勤務に。
 ○3月4日で宝塚歌劇団が休演に。最終公演にファンが殺到。警官隊が抜刀して整理に当たる。
 ○警視庁、東京都内の高級料理店などを閉鎖。その結果、転廃職した芸妓・女給らは18000人。
 ○東京都内の食肉店の44%が整理のため廃業に。
 ○スパイ防止のため、東京湾での釣りが全面禁止に。
 ○アメリカ型楽器編成の楽団禁止。
 ○2000社近くあった大小出版社が180社に統廃合される。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より