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子どもが接する質問の数 ふり返り366日【08/7/20】/第96問

 子どもたちは、一日にどのくらいの数の質問をされ、そのうち何%の質問に答えているのでしょうか。

 そのうち実態調査をしてみたい内容です。

 以前にも書いたことですが、私はかつて授業でいくつの質問が出されたか、各自に記録を取らせる取り組みをしたことがありました。きちんと答えられそうな質問、ややあいまいになりそうな質問、答えられない質問など、記号もつけさせました。

 この結果を見ておもしろかったのは、子どもによって、「質問の数」がかなり異なっていたことです。

 子どもにとって、質問されていたはずの内容が、質問として処理されなかった理由にも興味がありますが、「質問を質問として捉える能力」自体に大きな差があることが分かりました。

 それはそれとして、質問(問題)に対する回答(解答)を、ある特定の子どもにさせるだけだと、他の子どもは分かっていたのかどうかを判断できなくなります。ですから、ノートに書かせたり、先ほどの記録では、自分も答えられた質問にはそれが分かる記号をつけてもらったりしました。

 学校生活の中でのこういう「質問」は、教師だけからされるとは限りません。

 「昨日は何を食べた?」から、「昨日のドラマに出演していた俳優が好みかどうか?」などまで、ありとあらゆる質問が想定できますが、家庭などではどうでしょう。

 「勉強した?」という質問もカウントすることにすると・・・。

 子どもの教育には、「質の高い質問」というのが貴重なものであるということが、分かるといいのですが・・・。

08/7/20 「質問」は学校教育を変えられるか?  「わからないことがあったら質問しなさい」と教師は子どもに指示することがあります。  子どもの中には、「質問」とは、「わからないことを聞く」ために行うものだという固定観念にとらわれてしまう人がいるかもしれません。  しかし、「質問」 によって達成がのぞめることは、他にもたくさんあることを子どもたちにはわかってほしいと思います。  谷原誠(弁護士)著『するどい「質問力』(三笠書房)では、「質問」がねらうことのできる効果として、  「問題を発見、解決する」  「説得する」  「相手の考えを誘発する」  「決断を迫る」  「コミュニケーションを円滑にする」  「議論に強くなる」  「自分の主張を明解にアピールする」ことを挙げています。  授業の「発問」も含め、「質問」のはたらきをしっかり見極め、相手やタイミング、そのときの状況をふまえて実践していける教師、子どもの「質問力」を養成できる教師になりたいと思っています。

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昭和の家庭史トリビア?【第96問】 
 昭和19年(1944年)の話です。
 東京・蒲田の工場では、女子勤労動員工の全員にマスクの着用を義務づけました。その目的は?
 ① 感染症の予防のため。
 ② できるだけ顔を隠すため。
 ③ おしゃべり防止のため。

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 【第95問の解答
 ①の4ページでした。週2回は2ページだけとなったそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より