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「政」と「官」の距離 ふり返り366日【08/7/11-2】/昭和18年の流行

 「脱官僚」ではなく「脱官僚依存」というスローガンでは、何も変わらないだろうな・・・と思われる方は多いのでは?

 ドラマになりにくい「」の話を半フィクション仕立てで小説にしている人もいますが、あまりおもしろくない・・・「」の世界はそれを経験した人でないとなかなか理解しにくい部分があります。

 基本的にお金を自分のためでなく、「市民」のために使っているのが普通なので、「市民のために頑張っている」という自覚をもちやすい公務員ですが、どのような「市民」のためか?と踏み込まれると、結局分からなくなる・・・というか、「一部の奉仕者」になってしまっていることになかなか気付けないでいる・・・・そういう特徴があります。

 この、「市民」なのか「利益団体」なのか、「一部」なのか「大部分」なのか「全部」なのか、それが見えにくい世の中では、一番「食い物」にされやすい性質があります。

 問題は、その「程度」が「」とどのくらい離れているのか?というところでしょうか。

 「」の存在意義は、その「距離」との関係で説明がつきそうな気もするのですが、「」にコントロールされるようになってしまうと・・・・。

 中学生なら、「三権分立」の考え方をここにどのようにあてはめてみるでしょうか?

 「」と「」の関係については、首相官邸のHPに平成14年の「閣僚懇談会申し合わせ」としての見解が公開されています。「基本認識」を引用すると、以下の通りです。

〔1〕 「政」は、行政が公正かつ中立的に行われるよう国民を代表する立法権者として監視責任を果たし、また、国務大臣、副大臣、大臣政務官として行政を担う。「官」は、国民全体の奉仕者として中立性、専門性を踏まえて法令に基づき、主に政策の実施、個別の行政執行にあたる。
〔2〕 政策の決定は、「政」が責任をもって行い、「官」は、職務遂行上把握した国民のニーズを踏まえ、「政」に対し、政策の基礎データや情報の提供、複数の選択肢の提示等、政策の立案・決定を補佐する。
〔3〕 「政」と「官」は、役割分担の関係。それぞれの役割分担に基づき一体として国家国民のために職務を遂行する。
〔4〕 「政」と「官」は、それぞれが担っている役割を尊重し、信頼を基本とする関係の構築に常に努める必要がある。

08/7/11 教員採用にもみえた私共空間  大分県の教員採用の問題は、すでに新聞や多くの方々が指摘されているように、日本独特の「私共(わたくしども)空間」ならではの慣習ですから、「やっぱりそうだったのか」という印象の方が多いのでしょう。  笑えないのは、教師がよく批判するタイプの親が、実は校長先生自身だったりした、ということでしょうか。  地方議会議員の役割は、公共空間ではなく私共空間からの票への奉仕に重点があるようで、一方の行政マンも市民の代表者には頭が上がりませんから、罪の意識がかき消されてしまい、言いなりになってしまうのでしょう。  東京都のように、他府県からの受験者が多く、かつ倍率が非常に低いところと、地方のように倍率が10倍を超えていて不正があるところでは、どちらが教師の質が高いのかとふと思ったりもしますが、教師の力量は1校目で受けた教育と行ってきた実践によってその後が大きく左右されるといいますから、どの新任教師にも成長を期待したいと思います。  いずれにせよ、ここまで信頼できない私共空間というのも珍しい。  我々は、あくまでも「安心社会」であることを貫きたいのでしょうか。自問したいところです。

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昭和18年(1943年)のブーム・流行・流行語
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○全国で貸本屋が目覚しい復活。いずれも古本屋が兼ねていた。
○破れた唐傘や洋傘で落下傘遊びが流行。
○空き地利用の路傍菜園,校庭農園が本格化。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より