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アスペルガー差別とその救済 ふり返り366日【08/7/27】/第99問

 今から10年とか20年前に、「空気が読めない人」というのはどういう扱いを受けていたのでしょうか?

 大人社会の中では、「この人、マイペースだな」「常識ないな」程度で、大きく問題化することは少なかったのかもしれませんが・・・。

 「空気を読め!」という圧力をかけることは、人間社会にとってプラスなのでしょうか、マイナスなのでしょうか・・・。

 規則違反をしている小中学生にその理由を聞くとよく返ってくる答えが、「みんなやってるから」というもの。

 問題行動にも同調性圧力が加わるのはどの国にも共通してみられる現象なのでしょうか?

 「空気が読めない人」が映画やドラマに登場するのは、どの国にも見られる現象でしょうか?

 問題は、「空気が読めないこと」ではなく、「空気を読もうとしない」ことなのかもしれません。

 アスペルガー症候群の子どもたち・大人たちへの支援・対処法は確立されていないようですが、それで苦しんでいる人、苦しまされている人の問題が、大きく取り扱われる日が来るのはそう遠くないでしょう。負担が取り除かれることは可能なのでしょうか?

08/7/27 非常識な人が生まれる原因  さまざまな職場で「常識が通用しなくなった」「非常識な人が増えた」という声がよく聞かれます。  教育の現場では、もともと常識がない(机上整理をしないなど)部分もありますが、子どもや保護者の非常識さの陰に隠れて、教師の非常識さが目立たないという問題も大きい。  子どもや保護者には遅れがちな提出物の催促をする一方で、自分の事務処理は遅い・・・(いつまでたっても指導要録に手をつけないなど)。  ジャージにリュックサックという出で立ちで通勤するくらいなら問題はない?のかもしれませんが、学校に入って一番感じるのが、「挨拶ができない」「挨拶をしない」ことでしょうか。  民間企業より、新人教育などで弱い面が、そのあたりに顕著に表れてくるのでしょう。

 ・・・さて、ここでは教育の世界を少し離れて、ノンフィクション作家の野村進が著書「調べる技術・書く技術」(講談社現代新書)で紹介している「若い世代に受け継がれていないのではないか」と危惧を覚える取材と執筆のルールとその常識をとりあげてみたいと思います。

 ~取材編~
○インタビューを申し込んでおきながら遅刻する。
○取材前の資料読みをきちんとこなしてきた形跡がない。
○無断でいきなり録音機器のスイッチを入れる。
○貸した資料をなかなか返却しない(ひどいのになると紛失する)。
○こちらが発言していない事柄を会話体で記す。
○すでに公表されている事実を、そも自分が発見したかのように書く。
○掲載紙誌を送ってこない。

 ~編集者編~
○原稿を送付したのに何の連絡もしてこない。

 子どもたちのネット上でのコミュニティーでは同じようなマナー・ルール違反がおこり、トラブルの原因になっているな・・・と思い当たるものもいくつかありました。
 相手を尊重する念というか、時間をさいてもらって申し訳ない、という気持ちが、「その分の報酬を払ってるんだからいいだろう」という考え方によって、相手に伝わらない、そういうことでしょうか。
 それとも、自分の思い通りに相手が反応するのが当たり前、という思考回路をもっているのは、ゲーム世代の影響でしょうか。
 幸い私は、仕事をしやすい編集者の方々ばかりとしかおつきあいしていませんが、中には依頼状だけ送ってきて、「何卒」などとある紙だけで書かせようとする殿様商売の出版社もあります。
 他にいくらでも書ける人がいるので当然全部断ってしまいます。

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昭和の家庭史トリビア?【第99問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 人間の小便から塩をとる方法で、1人年間何キログラムの塩がとれると想定されたのでしょうか。
 ① 1キログラム
 ② 5キログラム
 ③ 50キログラム

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ブログランキング 歴史

 【第98問の解答
 ②の「人間の小便」でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より