藤田晋の成長学・教師編15 かつての長所が成長を阻害する
セオリー№15 効率よりも場数が能力を決める
教員採用のシステムの大きな問題は,受験学力の低い人が最初のふるいで落とされてしまうことです。
採用試験に受からない講師の中に,子どもとのコミュニケーションが上手で,(だから)授業もよく分かる・・・という印象を子どもに与えられる人がいます。
ですからコミュニケーション能力という最重要の資質のふるいから入って,最後にペーパーというのが採用の理想なのですが。
採用にカネを時間をかけないシステムでは無理でしょう。
藤田社長も書いていますが,高学歴・高「学校学力」の人の中に,自分のプライドが邪魔をして行動力の鈍さが目立ってしまう人が少なくないというのは,新規採用の教師を見ていると納得できることです。
採用直後の教師の動きで,その後の「成長速度」が分かるというのも,ベテラン教師なら何となく事例が思いつくのではないでしょうか。
ペーパーで上位に入れる人間というのは,一定程度,「どのような効率的な方法があるだろうか」という発想をもっているでしょう。つまり,「要領よくやってきた」経験と実績があるのです。
それを,全く新しい世界で適用できるかどうかは未知数です。
効率を考える前に,まず場数を踏めるかどうかが大切です。
このセオリーは,実は子どもの教育活動そのもののセオリーを言っているのと同じです。
さらに,教師の育成についても全く同じなのです。
若い教師にたくさん経験させる。
そういう職場にいる人は,「成長速度」も向上するでしょう。
ベテランが効率よく生徒を動かし,成功させる。そういう学校も少なくありませんが,育成をサボっていると,このベテランがいなくなったとき,多くの学校で悲劇が起こります。
育成の発想がない学校や学年に所属している場合はどうしたらいいでしょう。
それは,いつも指導の現場に身をおいて,「私ならどうする」を常に考え続けることでしょう。
職員室の自分の机に座っている時間がどれだけ短いか。成長速度が決まるポイントかもしれません。
私の場合は変な子ども時代を送っていて,このことを小学校のときから考えていました。
もちろん教師になろうなんて思わなかったときからです。
地域の中学校がひどい荒れで親が「とても通わせられない」と考えたときから,すでに公立学校不信は始まっていました。
働きかけをするかどうかは別として,最低限,「見えるところ」「聞こえるところ」に身をおけるかどうか。それが大切です。
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