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藤田晋の成長学・教師編17 力を抜く教師と手を抜く教師

 セオリー№17 力の抜き方が分かった時が伸び悩みの危機

 分からないこと,困難なことにぶつかったときに,先輩教師にいろいろと質問したり,本を読んだり,指導しながら試行錯誤を繰り返したり・・・そういう「若い時期」を経験した教師の話です。

 若いころから「力を抜いている」というか,「力の入れ方が分からない」教師の話ではありません。

 「力の抜き方が分かる」とは,「このことはAさんに任せておけばよい」とか,「これは教師がやるより子どもにやらせた方がよい」という判断のもと,自分がかかわらなくなることが増える,という意味で,「成長できた」という一面もあるのです。

 ただ,組織体である学校の一員として,他の教師と自分自身の長所や短所を理解した上で,それぞれが最適な活動をし,高いパフォーマンスを実現できるようになるには,相当の時間を要します(その主原因は,管理職が組織を動かせないからで,主幹が導入されてそれがどの程度実現するようになったかはまだ分かりません)。

 一見するとみんなで無駄なことをしているようなことが,実は一人一人の力量を向上させているという好結果になっているということも考えられるので,「効率重視」「仕事の分散」が常に正しいとは言えないのも学校の特色です。

 教育は「人を育てるのが仕事」なのだから,「自分の力量は高まらなくてもよいだろう」という変な理屈も考えられます。

 しかし,子どもは「力を抜いている教師」と「手を抜いている教師」の違いは肌で感じ取ることができるのです。

 「手を抜いている教師」からはそういう態度を学び,伸びようとするのをやめてしまうかもしれません。

 うまく「力を抜いている教師」からは,期待される自己を感じ,伸びようとします。

 力一杯,教育の仕事に取り組む教師から,子どもはどんなことを学べるのでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より