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藤田晋の成長学・教師編10 異動後の振る舞い

 セオリー№10 望まない異動で腐らないために
 
 優秀な教師を一校に固めることができないのが公立学校の仕組みです。逆のことも同じです。

  希望通りの異動というのは,なかなかありません。

 都立高校は進学重点校勤務希望の教師を公募したりして,「選ばれた教師の学校」をつくることができますが,小中学校では難しい。

 ただ,行政が「特色」を生み出そうとすると,「選ばれた教師の小中学校」ができなくもないのです。

 さて,教師にとっての異動は,環境を変え,古い体質から脱皮するなど,「生まれ変わる」一つのきっかけになるものです。そして,多くの場合は,同じ公立学校でもこんなに違うものなのか,ということを実感することになります。
 
 異動で悩む教師は,慣れた環境で続けたい,しかし,学年の途中で子どもと分かれなければならないなど,一つはそのタイミングの問題というのがあります。

 学校にとって必要な場合は,基本的に本人の希望が通りやすくなっていると思いますが,その判断はシビアなところです。

 私の場合は,2度の異動が1年担任と1年学年主任券担任のときでした。

 町で会った時,相手は気付くのですがこちらが名前を思い出すまでちょっと時間がかかるのが,この「1年間のお付き合い」があった子どもたちです。相手には悪いのですが,中学生は2・3年生でぐっと成長するので,3年間一緒にいて卒業した生徒よりは,印象が薄くなってしまうのです。

 そして,この子どもたちには悪いのですが,この異動の後,自分でも信じられないくらいの環境の変化,自分自身の成長を体験しました。

 2度の異動がなかったなら,今の自分はないでしょう。

 ・・・・などというような,「異動の意義や目的」を上司からきちんと説明を受けなさい,というのが藤田社長のすすめです。

 そして,異動後はとにかく仕事に打ち込むこと。そして仕事で結果を出すこと

 周囲に認めてもらうこと

 職場の教師たちは,「転任教師」には少なくとも「子どもを大事にしてほしい」という願いを向けると思います。

 異動後,「前の学校の生徒たちは・・・」などとすぐに異動先の生徒と比較して,ほめたりけなしたりする教師がいますが,兄弟で比べるコメントをしてはいけないという鉄則と同じような理由で,セオリーとしてはタブーの行動です。

 なかには,異動してきたのに「この学校は・・・」「この学校の生徒は・・・」などと他人のような口のきき方をする教師もいます。

 異動後,食事に誘われたりする機会もあるでしょうが,これを「わざわざそんな歓迎をしていただく必要は・・・」と拒否する教師もいるようですが,誘っている側は,「どんな人間なのか」を知りたくて誘うという面もあるわけであり,これで断っていたら,そういう人間だと思われて先に進めなくなります。

 よく,会議よりも飲み会の話の方がよほど教育的な役に立つ,という言い方がされますが,歓迎会の参加は絶対に必要なことでしょう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より