藤田晋の成長学・教師編13 学校嫌いの合理性
セオリー№13 起業に必要な資質などない
教師にはもともと,「総合力」が問われています。
コンピテンシーの分析をしてみると,その責務の重さをひしひしと感じることになります。
そういう「総合力」に恵まれた教師なら,「起業」も夢ではないのかもしれません。
藤田社長の見解は,起業家として成功するために必要なのは,特別な資質や能力ではなく,バランス感覚だということです。
起業は総力戦なので,体力,精神力,行動力,決断力,統率力,コミュニケーション力など,いくつもの力が必要になるからです。
ただ,ここまで読まれてみても,「教師」と「起業家」というのは,多くの人にとって,どうしてもイメージとして結びつかないのでしょうね。
せいぜい,教師を辞めて「教育評論家」「塾の経営者」になるくらいの話か・・・?程度の認識しかもてないのかもしれません。
その原因は,収入が安定している多くの教師にとって,「経営者になろう」というハングリー精神とか,反骨精神が欠けていることがあるのは確かでしょう。
反抗精神は旺盛でも,自分が管理職になって学校を変える!という意欲がある人は少ない。
文科省の教育理念には賛同できないから,私が私学を立ち上げる・・・と本気で考える人もいない。
もし教育関係の仕事を選ぶとすると,そもそも「マーケット」としての魅力はないだろう・・・そう考えてしまうことも「起業家」への道が開けない原因であるかもしれません。
教育はあくまでも公的な営みであり,競争で生き抜いていく企業の仕事ではないのだ,という考え方もあるかもしれません。
そういうことを総合的に考えると,学校という教育機関で学んでいること,教師という特殊な職業の人間とずっと一緒に生活しているということ自体が,様々な面で人間を成長させていながら,別の面では「大事な成長を阻害している」のだという,恐ろしい仮説が生まれてきてしまいます。
「学校嫌い」というスタンス,「不登校」というスタイルが,実はその阻害要因を避けるための合理的判断・行動だったら・・・?
実社会では当然のようにある,様々な矛盾の中で生活させ,鍛えていくという発想・・・実は,多くの伝統校では,そういうものが根付いているため,見た目にはだらしなかったり,力がないように見えてしまうのかもしれません・・・。
子どもを真の意味で成長させるための教師にとっての成長とは何か。
そう簡単に答えは出そうにありません。
« 歴史学習の苦手意識 ふり返り366日【08/7/02-2】/第80問 | トップページ | 教師のオーラが届く範囲とは?/第81問 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
« 歴史学習の苦手意識 ふり返り366日【08/7/02-2】/第80問 | トップページ | 教師のオーラが届く範囲とは?/第81問 »
コメント