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自尊感情維持テクニックで防ぐ「いじめ」 ふり返り366日【08/7/09-2】/第89問

 現場で見てきた「いじめ」には、比較的親や教師も「予測可能」であるもの・・・つまり起こったときの因果関係に想像がつくパターンのもの=「防ぐ」ことも可能なものと、「予測不可能」なもの・・・これは、第三者が因果関係にすぐには気付けない、「関係性」の中で生じるパターンのものに大別することができます。

 最も難しいのは、「秘する形での関係性」の中で生まれるタイプの「いじめ」です。

 いじめられた本人がだれかに相談するまで、この「いじめ」は発覚しません。

 日本の子どもは、自尊感情が低いというアンケートからのデータがありますが、これは見方を変えればよりレベルの高い自尊感情を望んでいる、あるいは保持している可能性もあり、「自尊感情維持テクニック」を体得することで、「いじめ」の害を軽減することが可能になるかもしれません。

 「自尊感情維持テクニック」は、教師が日頃の教育活動で子どもに育成し続けるべきものですが、なかなかそういう実践は少なそうです。 

08/7/09 いじめは「かわす」のが正解か?  矢部武著「アメリカ発いじめ解決プログラム」(実業之日本社)に、心理学博士のカーラ・ギャリティが考案したHAHASOに基づく寸劇訓練というものが紹介されています。  記事で紹介した「いじめ被害の回避方法」はHAHASO(Help、Assert、Humour、Avoid、Self-talk、Own itの頭文字)のうちの2つでした。   文科省の定義では、精神的な苦痛を自助努力で回避できた生徒への攻撃的な行動が、「いじめ」と認定されないわけですが、たまたまそのときは回避できたとしても、心の傷として残り、それがさまざまな形で後遺症の症状のようにして表れるのではないか、そういう仮説を立てることは可能だと思います。 ①Help=いじめの被害にあったときに、他の生徒や先生、両親などに助けを求めることによって解決できた場合 ②Assert=いじめっ子に対して断固とした態度をとることができた場合、 ③Humour=いじめられてもユーモアのセンスを忘れずに応酬することができた場合、 ④Avoid=いじめにあった現場をすぐに立ち去ることができた場合、 ⑤Self-talk=いじめられた時に意識的に独り言を言って自尊心を維持することができた場合、 ⑥Own it=いじめっ子に意地悪なことを言われても、ムキになって怒らず、「私も同感」などと言って受け入れてしまい、自尊心を守ることができた場合・・・  もしいつか「いじめに関する調査」を行う機会があったら、過去にこのような方法でいじめを回避することができた経験があるかどうかを問うてもらいたいと思います。  著書で紹介されているロールプレイによる訓練を実際にやるとなると、日本では相当の配慮が必要でしょう。  特にユーモア、ジョークで切り返せるような子どもは日本ではあまり想定できません。そもそも対等な関係でないと難しいでしょう。  かえって擬似的ないじめをたのしむ子どもが出てきてしまうおそれがあります。  何も著者がこのような対処方法がいじめ解決の鍵だとまでは思っていないでしょうが、回避できた場合でも後の心のケアに責任をもつべきことを考えると、やはりいじるめ側と、傍観者に対するはたらきかけがいじめの予防には欠かせないことだと思われます。  ただ、個人の「力」を重視するアメリカらしい、戦略的行動がとれる個人の育成という視点も大切であることは言うまでもありません。  このブログも、そのような視点で教師の役割、能力、課題等を考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第89問】 
 昭和18年(1943年)の話です。
 米英語雑誌名が禁止され,『サンデー毎日』は『週刊毎日』に,『オール読物』は『文芸読物』と改称されました。では,『キング』は何と改称されたでしょうか?
 ① 雑誌王
 ② 獅子
 ③ 富士

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ブログランキング 歴史

 【第88問の解答
 ③の「シカゴ」でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より