新型インフル対策・文科省通達の威力 ふり返り366日【08/7/08】/第87問
文科省の通達というのは威力のある、ある意味「究極」の方針で、おそらく学級閉鎖・学年閉鎖に踏み切る小中学校が急激に増えることでしょう。
成功と言えるか、効果がなく失敗に終わるかは、しばらく様子を見てみないと分かりません。
子どもにとって気の毒だったのは、この流行のシーズンと運動会、文化祭、部活動では秋の大会(新人戦)が重なってしまったことです。
また、一度感染した生徒が、「もうインフルエンザにはかからないだろう」と安心できるかどうかは分かりません。
変異したウイルスが強毒性で、一度感染した人だけは救われる・・・なんて結果になったら、今の不幸が逆転するかもしれません。
・・・などと仮説に仮説を、予想に予想を重ねても仕方ありませんね。
繰り返しになりますが、一番心配なのは、入試のシーズンに大流行していたら・・・ということです。
大学は「二次試験の実施可能性」を打診されているようですが、中学入試・高校入試はそれに対応することは事実上不可能でしょう。
どうなることか・・・。
08/7/08 その問いへの究極的な答えとは・・・。 ずい分以前に読んだ本でしたが、スティーブン・R・コヴィー著『原則中心リーダーシップ』(キングベアー出版)を読みかえして、 傍線を引いていた箇所の意味を改めて噛みしめています。********************
恐ろしいほど複雑な世の中で、どうしたら一貫性を持つことができるのだろうか?予期せぬ突然の変化によって、優れた地図(戦略とプラン)でさえ役に立たなくなる現代の荒野で、どうしたら方向感覚を失わずにいられるのだろうか?
どうしたら非難と自己正当化ではなく、同情と理解をもって人間の弱さを見守ることができるのだろうか?
どうしたら偏見を捨て、尊敬と探求の精神をもって他人の学習と達成を促し、長所をのばすことができるのだろうか?
どうしたら変化と進化への強い熱意を持つことができるのだろうか?
多元性と多様性の価値を認め、尊敬の念を持って相手を賞賛できるような人間になるにはどうしたらいいのだろうか?
何からはじめたらいいのだろうか?どうしたら心のエネルギーを充電して学習、成長、進歩への情熱を持ちつづけることができるのだろうか?
********************これらに共通して言える答えとは・・・。究極的には、教育の世界の私たちは、「子どもの立場」になって常に考える、ということです。
私が教師に対して常に批判的であるのは、「そんなことを言われたり、書かれたりしたら、子どもはどう考えるのか」「子どもはどんな教師のどんな指導・授業をのぞんでいるのか」という問いから始まってしまうからでしょう。
もちろん、自分も教師ですから、同僚への「同情や理解」はリアルな世界では非常に優先順位が高いものです。
しかし、子どもが被害を受けているとしたら話は別です。
「自分より実力のある生徒とつきあいなさい」という指導言に対してさまざまな直言をいただきましたが、それが言える人間関係・信頼関係の構築にどれだけ力が入れられているかまでは、ネット上では伝えきれません。
批判的思考力を育ててある子どもというのは、必ず教師の指導言の「意図」を読み取ろうとしてくれています。
単なる教科書的な知識や社会的な常識だけを教えてくれるのが学校や教師ではないんだなと子どもに実感してもらう教育を目指しています。
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昭和の家庭史トリビア?【第87問】
昭和17年(1942年)の話です。
京都植物園が,「外国語を一掃し,日本語に帰れ」と,園内の花草木1万余りを日本語名に変更しました。
「シクラメン」は次のうち,どれでしょう。
① 篝火(かがりび)草
② 秋桜
③ 篠懸(すずかけ)
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【第86問の解答】
①の56社でした。
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