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自尊心維持システム ふり返り366日【08/7/07】/昭和17年に始まったもの

 いじめを「無」にする「自尊心維持システム」は、幼少期に基本的信頼感を獲得している子どもに特有のものなのか、それとも虐待を受ける子どもにも形成されるものなのか、私の乏しい経験では分かりません。

 親として、学校でのいじめから子どもを守るのは難しいことですが、学校でいじめを受けたとしても、それを無力化する力を子どもにはぐくむことは可能であるかもしれません。

 もちろん、親として、いじめをしない子どもに育てることも可能でしょう。

 難しいのは、同調への圧力が強い集団に入ってしまったときに、子どもが「いじめをしない」方を選択しきれる強さを身に付けられるかどうかです。

 「いじめられている」と周囲に訴えることで、特定の子どもを「いじめる」という「技」も登場しているようですが、早くこの負の連鎖から抜け出てほしいものです。

08/7/07 「強さ」が導く潜在的な「いじめ」  文科省の現在の「いじめ」の定義は、「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」(いじめをするのは仲間や友達)となっています。  今の私の一番の関心は、そのときそのときで、「精神的な苦痛を感じている」と自覚しないように防衛している子どもはどうなるのだろう、という問題です。  「いじめがある」という訴えを受けると、直接の当事者に事情を聞くことになるのですが、「いいえ、いじめられていません」と強く否定する子どもがよく見受けられます。  こういう場合は、「いじめがある」という事実はないことになり、統計上の数字にもなりません。  しかし、こういう場合こそ危ないのではないか、ということに気付いている教師はどのくらいいるのでしょうか。  プライドの高い子どもほど、「自分はいじめられている」ということを認めたがらないものです。 10年くらい前のアメリカのいじめ解決プログラムに、「いじめに遭遇したときに有効な6つの対処方法」というのがあって、その中に、  いじめられてもユーモアのセンスを忘れずに応酬する。  いじめっ子に意地悪なことを言われても、ムキになって怒らず、「私も同感」などと言って受け入れてしまい、自尊心を守ること。 というのがあります。  こういう「自尊心維持システム」を作動してしまうと、そのときの「いじめ」は文科省の定義でいうと存在しないことになってしまうのです。  しかし、実は心はすでに傷ついていて、その傷が痛み始めるのが1年後とか、10年後とかいう場合もあるのではないか。  いじめられたその場で、「弱さ」を発揮してしまう方が、問題は解決しやすい学校が増えているのに、逆に子どもに防衛力がついてしまうと、その「強さ」が後々の大きな悪影響を生む・・・・。  心理学の専門家の先生は、「いじめなんかされていません」という子どもには意識的に寄り添い続けるべきである。そうすると、徐々に本音が出てくるかも知れない・・そのような貴重なアドバイスをいただきました。

*******************

昭和17年(1942年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○衣料の点数制実施。1年間の点数は都市部で100点。
 背広は50点,国民服・学生服は32点。スカート12点。
 ブラウス8点,ズロース4点など。
 (すぐに衣料切符のヤミ販売が判明する)
○東京に初の空襲警報が発令される。
○日立製作所が電子顕微鏡を製造し,第1号が名古屋大に納入
 される。
○国語審議会が,横書きは左からに,仮名遣いも発音通りを原則として,「てふ」(蝶)は「ちょう」と書くように統一。
○6月1日を「気象記念日」とし,第1回記念式典が開催される。
○高等学校の鉱物および地質科を「地学」と改称。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より