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どんな「記録」をめざすか ふり返り366日【08/7/06-2】/昭和17年に中止になったもの

 「大記録」にも,いろいろなタイプのものがあることを,子どもに分からせるきっかけになるいいニュースがあります。

 それが,野球で言うと,「○年連続○○本以上の○○」という記録です。

 これを,「年間最多○○記録」という単発のものと比べてみたら,どんなことがいえるでしょうか。

 「お金に置き換える」のは嫌らしい話ですが,目安にはなります。

 大ベストセラーを出した作家の新作が,あまり本屋で見られない・・・そういう例もいくらでもあるでしょう。

 究極の選手,作家とは,毎年毎年,今までの記録を破り続ける・・・そういう人でしょうが,それこそ「究極」であって,実現はなかなか難しい。では,1年限りの記録を目指すか,○○年連続という記録を目指すか・・・?

 教師として,どんな「1年限り」「○○年連続」という記録を打ち立てることができるのでしょうか。

 そんなに難しいものではないのは,○○人以上に見ていただく研究授業を年○回という目標。

 これが毎年伸びていくということは,実力もついていっている証拠になるでしょう。

 もちろん,途中で挫折を経験することがあるかもしれません。

 一度途切れても,あらためて活躍した人に贈られる「カムバック賞」。

 いずれにせよ,だれが「賞」を出すわけでもなく,ひそかに目標を立てて仕事に取り組むのもいいものでしょう。

08/7/06 「売れれば売れるほど失われる信用」の問題  当ブログに対しても私の教師としての資質についても、積極的なご批判をいただいているおかげで、直接的に面と向かって議論や指導をしている相手方の目線に自分自身を置き換えてつつ、話を進めていくくせがついてきました。自分を批判的に見る自分がそこにいることを意識できることはすばらしいことです。  当ブログは、教師が陥りがちな失敗に目を向け、それを改善するために必要なこと、あるべき姿を追究することを目的にしていますので、ここしばらくは願ったり叶ったりの状況が続いています。  私が読者として基本的な対象としているのは教師でありますが、「教師にひどい目にあった」方々が「教育失敗学」というタイトルをふまえてご覧になることも考慮に入れて、なるべく記事を書いていこうと思います。  私自身の理解力や表現力が及ばないために、私の教え子たちまでもが誤解されていることが無念でなりませんが、直接ご紹介して誤解を解くわけにはいきませんので、文章によって認識を改めていただけるよう努力をするしかありません。  ひどい教師がいたら、その教え子はみんなひどい目に合っている、とか、子育てをろくにしない親の子どもは、みんなろくでもない・・・なんてことは決してないのですが、どうしても人間は何かの原因を人のせいにしないと気がすまないというか、そうやって精神の安定を図っていくものなのだと実感しております。  朝令暮改の発想・その6は、「部下は『常に自己正当化する存在』だから追い詰めることも必要」という話です。  教師も単純な話、「何で私がこんなに努力しているのに子どもは言うことを聞くようにならないのか。親はいったいどんなしつけをしているのだ!」と口に出しやすい存在ですが、「はい、そうですね。仕方がないですね」ではどうしようもないわけで、「自分はどのような仕事のやり方をしてきたのか。自分が生徒に教えてきたことを入学当初から整理するとどうなるか。どこに今、子どもが話を聞かない原因があるのか・・・」と追求していく姿勢が大切だと思うのです。そういう姿勢がなく、「そこそこ聞いているからいいでしょう」などという答えを返す教師に対しては、厳しい言葉を返していくことになります。  セブンイレブンのチャーハンについて、部下の自己正当化を鵜呑みにしていたら、質の追求などとうてい不可能だ、という話が紹介されています。
 「(そこそこ)売れているからいいのではない。自分たちが納得できていない味の商品が売れていることにこそ危機感を持たなければならない。セブン-イレブンのチャーハンはこの程度かと思われては、売れれば売れるほど信用は失われていく」
 「教育とは答えを教えることではなく、部下に『気づき』を与えることです。部下が自己正当化を始めたら、本人の中で『これ以上は無理だ』と守りに入る意識が生まれ始めている表れです。しかし、限界を突破できれば自信がつきます。これを繰り返しながら部下は成長していくものです。・・・上司が『仕方がない』と思ったときから部下の成長は止まり、組織も停滞が始まります。」
   私のリーダー育成もふり返ってみれば同じことでした。  しかし、このような働きかけが可能になる程度までまずは一人でも多くの生徒を成長させることが大切なのは、言うまでもありません。

****************
昭和17年に廃止・中止・禁止されたもの。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 ○外国製乗用車の販売が禁止される。
 ○朝日新聞社,26回にわたり実施されてきた全国中等学校野球大会の中止を発表。
 ○京都製氷組合と飲食店組合が,ぜいたくな氷の消費はやめることを決議。うどん屋・料理店・喫茶店・カフェーなどでの氷使用の廃止。
 ○マヨネーズの製造が中止に。
 ○明治製菓,時局急迫のため,「ミルクチョコレート」の製造を中止。
 ○5万分の1の地図は秘密扱いとなり,販売禁止に。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より