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「見る」ことの意義 ふり返り366日【08/7/05-2】/第86問

 組織が大きくなれば大きくなるほど,課題に気付いたときに「すぐに対応する」ことが難しい。

 カレンダー上で設定されている会議の日まで待っているうちに,課題がかなり深く進行してしまって,手遅れになる場合もあります。
 また,数人の教師が「気付いている」のに「放置している」と生徒に受け止められ,そのメッセージがさらに大きな問題を生む・・・。

 学校現場というところは,あまりの問題の多さに教師の側では感度を下げざるを得なくなってしまうというケースもありますが,もともと「アンテナに入ってこない」「レーダーに映らない」タイプの問題の糸口になるものを見逃してしまうと,「今の子どもは分からない」というあきらめにつながってしまう恐れもあります。

 アンテナレーダー性能が,教育力の源泉の一つです。

 それを磨いていくためには,小さなことを見逃さない習慣をつけなければなりません。

 無反応ではなく,「おや?」という表情を生徒に見せるだけでも,それが有効な「対応」になっていることがあります。

 「見る」という行為の教育的意義についての分析をしてみるのもおもしろいかもしれません。

08/7/05 反対意見へのアンテナ 朝令暮改の発想・その4は「本を読みながら傍線を引くなら『反対意見』に引く」です。  ブログや自己啓発本などで自分も同感に思える意見に出会えば、心地よく、さらに共感するメッセージを相手に伝えることによって、交友の幅が広がったりもします。  ただ、共感しているということは、自分もその考え方の域に達しているわけなので、そこから得るものは少なく、それ以上の自己の発展はあまり期待できない、というのが著書の考え方です。  過去の成功体験によりかかり、それを鵜呑みにしている限り、自分自身も過去の経験から抜け出せなくなる可能性がある。  一方、自分と異なる意見、反対意見と出会ったときは、  どこが異なるのか、  なぜそう考えるのか、  根拠は何か、  ひるがえって自分はなぜこう考えるのか   などということを考えつつ、さらに自分を発展させたり、補正したり、補強したりすることができる。  ・・・これは、本の読み方についての考え方の一つです。  私の場合は、教育者の失敗事例に最大の関心があり、逆コンピテンシーを整理したいと考えているので、そのような情報に自然と目が行くようになってしまっています。  アンテナにひっかかってくる情報の多くは、自己責任回避のパターン、「子どもの立場」での思考になっていないパターン、評論家的・抽象的で自分自身が何をしたいのかが伝わってこないパターンなどがあります。  「もっと自分のことを考えろ」というご指摘もいただいておりますが、学校内でこのような指摘が双方向に行き交うことで、あるべき実践の本質が見えてきているように思います。これはあくまでも私の実感です。  同じ指導言でも、性格や能力等の異なる子どもへの伝わり方は十人十色であり、能力を過信したり内面まで見通せなかったりすると、その指導は失敗に終わります。  しかし、多くの道徳授業のように、いつまでも「失敗しないための指導」を続けていても、目標は達成されにくい。問題行動がおこってからスタートする「守りの生活指導」では、同じ問題は何度も繰り返されるでしょう。  いずれにせよ、子どもへ「本当に成長してほしい」「強く正しい人になってほしい」「実力を伸ばしてほしい」というメッセージが響いていく指導ができるかどうか。それが成否の鍵を握っていると思います。  テレビドラマの学園ものを私もよく批判していますが、この点だけは正しいかもしれない。  子どもに「本当にこの先生は自分たちを成長させようと真剣に考えている」ことが伝わるかどうか。  暴力に訴えるなど方法は大間違いでも、結果として上記の満足感が得られるので視聴率がとれる。  むしろ失敗の危険性がある指導の方が、成功に結びつく可能性をもっているとも言えるのかもしれません。  ただ、けっして失敗をおこしてはいけないので、リスクをコントロールするための人や道具を増やしておく必要があります。これは「同僚性」とか「チームワーク」とか「一枚岩の組織」とか呼ばれているものです。道具とは、指導法です。  私の場合は、自分対数人の生徒(ここにはいくつかのタイプの生徒を選んでおく)で指導を行う場合、伝えたいことを伝え終え、個別に意見を聞き終えたら、生徒に話し合わせて再度生徒たちの意見を聞くようにしています。  子どもなりにふり返る時間と機会を与えることが、リスクをコントロールする方法の一つになっています。  指導の失敗も、子どもたち自身の自己教育力で救われたこともありました。  10回の指導場面があれば、教師としても10回の学びの機会があり、数多くの学びがあります。

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昭和の家庭史トリビア?【第86問】 
 昭和17年(1942年)の話です。
 新聞が1県1紙制となりました。104社あった新聞社は統合されて何社になったでしょうか?
 ① 56社
 ② 50社
 ③ 47社

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 【第85問の解答
 軍服着用による,②の手榴弾投げでした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より