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「主体的な学習」を語るのはだれか ふり返り366日【08/7/03-2】/第84問

 「子どもが主体的に取り組む学習」というのを,教師はどのようなものだと想定しているのでしょうか。

 以前にも書いたかもしれませんが,私にとっての「主体的な学習」とは,自分が興味・関心を持ったテーマについて,主に本を読むというものでした。ただ,これはとにかく学校の宿題とかテスト勉強にとっては非常にネックになるものでした。

 だいたい,1日に1冊のペースで読まないと気がすまなかった時期は,バスと電車の中ではとにかく一所懸命に読んだ記憶があります。中学校時代のテーマは自然科学,高校時代のテーマは環境問題でした。

 高校時代は新聞のスクラップもかなり時間を取られたので,宿題をやるのはたいてい学校の休み時間。

 私の尊敬する教師は,何かのことに興味を持たせてくれるというタイプで,「自分が教えている今の単元よりも生徒が学ぼうとしているテーマを優先すべき」という空気は,心地のよいものでした。

 受験とか試験とかのことになると,「穴があく」。

 ただ,塾のような場所には死んでも行きたくなかったし,経済的にも行けなかった(お年玉を本代にするのは「財産」が貯まっていく実感がありましたが,「講習」で使ってしまうのはお金を捨ててしまうような感覚がありました)。

 たまたま,大学は自分の「主体的な学習」のスタイルがぴったり合った問題を出してくれるところがあったので,そこに進学することができ,そして中・高と同じような教師のスタイルだったので同じように学ぶことができたのです。

 ・・・という経験がある人間がもし「主体的な学習」を語ろうとしたら,それは「学習指導要領」の理念には合わないのかもしれません。そこが,教育の悲しさです。

08/7/03 総則の冒頭に改訂のエッセンスがあります  教育制度改革についての具体的な提言をするわけでもなく、ただ現行の学習指導要領等に対する不満(批判ではない?)が述べられている記事が散見されますが、このこと自体が、現在の学校教育が抱えている大きな問題の顕著な傾向であると考えられます。  教育課程編成の大原則を理解せずに(下手をすると自分の学校の教育課程も知らずに)、そしてその内容への批判や自己評価をせずに、現在そして近未来の学校教育の課題を語ることに意味はあるのでしょうか。  現行の学習指導要領の総則の1「教育課程編成の一般方針」では、「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない」とありました。  ところが、「自ら学び自ら考える力の育成」の具現化が十分に図れなかったばかりか、内容を減らした基礎的・基本的な内容も確実に定着させられないことが明らかになったため、「自ら学び・・・」の部分が、以下のように改訂されるようになりました。  ・・・創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で、基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む姿勢を養い、個性を生かす教育の充実に・・・  「定着」が「習得」に、「自ら学び自ら考える力」が「基礎的・基本的な知識及び技能を活用して課題を解決する力」=「思考力、判断力、表現力その他の能力」、「主体的に学習に取り組む態度」となり、  さらに、  「生徒の発達の段階を考慮して、生徒の言語活動を充実するとともに、家庭との連携を図りながら、生徒の学習習慣が確立するよう配慮しなければならない」 という文言が加えられました。キーワードは、「言語活動」の充実と「学習習慣」の確立です。  学習指導要領総則の「教育課程編成の一般方針」の第一に掲げられたこの内容については、学校だけではなく、家庭にも周知されるよう、文部科学省及び各教育委員会、学校は努力すべきであることは言うまでもありません。  「習得」と「活用」への理解に関する課題は、これまでも記事にしてきましたが、また後日ふれることがあると思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第84問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 愛知県西尾町で,町内400戸の家庭の飯ビツが一斉点検されました。麦の混ぜ具合を調査するのが目的だったそうです。このとき,白米だけの「不心得者」が見つかったそうですが,その軒数は?
 ① 3軒
 ② 30軒
 ③ 150軒 

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 【第83問の解答
 ③でした。8ポイントから9ポイントに活字が大きくされた理由は,「国民の視力保護」のためだそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より