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気付いたことに気付く時期 ふり返り366日【08/7/02-3】/第82問

 自分が率いているチームを褒められるのは,普通,悪い気がしないものです。

 しかし,褒めるのも仕事にしている教師にとっては,何を褒めてくれるかに相手の力量をくみとることができます。

 自分が最も力を入れているところを褒めてくれる教師と,単なる社交辞令として褒める教師がいます。

 かつて,「学校始まって依頼のすばらしい学年」と評価してもらえる期間を二度経験しました。

 「すばらしくて当然」という時期を除いての話ですが。

 そのような評価を口にする教師には,やはり「分かっている人」と「分かっていない人」の二つのタイプがいました。

 「分かっていない人」にも細かく分ければたくさんタイプがありますが,そのうち困ったのは子どもが見えていないタイプが評価するときです。

 「関係性」で教育を語れない人が実は現場にはたいへん多い。

 このブログでも「個」の力量だけを対象にしているように勘違いしてしまうために,先に進めないのが手に取るように分かるコメントをいただいた例がありましたが,そういう「失敗事例」が意識化できると現場は変わるでしょう。

 「子どもを変える」のも,「子どもに気付かせる」ことしか方法はありません。・・・・いつの間にか変わっていることが多いですが,「気付いたこと」に気付くのはたいてい変わってからではあるのですが。

08/7/02 教育ブログでのスタンス  「強き」リーダーを鍛え抜いている場面を見られ、「どうしてそこまで厳しくするの」と問われることがあります。  私が厳しく指導するポイントはその生徒が自信をもっており、その部分をよりピカピカに磨いていこうとするときに行うことです。  リーダーの中にもある弱い部分には、しっかり寄り添って自信に変える指導を行うようにしています。  ただ、それぞれの指導にはタイムラグがあるので、「教師間の協力的指導」というのが威力を発揮するわけです。  強さと弱さが同居しているのが人間であり、子どもならそのアンバランスさが心の不安定さも招いています。  「弱い」部分を支えることに注力しすぎたために、いつも手助けを必要としてしまうような依存心の強い子どもが生まれるのだという批判を私も受けたことがありました。  「強い」部分には度合いに応じた適当な刺激を。  これが私のモットーであり、教育ブログの中でのスタンスでもあります。

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昭和の家庭史トリビア?【第82問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 国民学校の正課として取り入れられた模型飛行機作りが,全国的ブームに。教材としての使用だけで,どのくらいの数があったでしょう?
 ① 10万機 
 ② 100万機
 ③ 1000万機

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ブログランキング 歴史

 【第81問の解答
 ③の20000人でした。紙芝居業者は,東京に1581人,大阪930人,群馬726人,山口には620人いたそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より