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歴史学習の苦手意識 ふり返り366日【08/7/02-2】/第80問

 小学生にとっての歴史学習で「苦手意識」が高まるのは,「近現代」を扱うときです。

 小学生にとって,ということは,6年生で歴史を学び始めますから,中学校1年生にとっても同じことで,「人気のある時代」というのは,戦国時代,江戸時代,平安時代となっています。

 その理由は,あることを調べろ,と言われたとき,対象となる人物が限られていることと,何をしたかが理解しやすいこと,そしてその評価がかなり定まっていることにあるようです。

 一方で,幕末から明治維新,そして戦争の20世紀に入っていくと,「できごとが多すぎて分かりにくくなる」という印象から,「苦手意識」が高まっていくのです。

 小学生にとっての人物を中心とした学習というのは,その人の行動から時代の中でのはたらきやその意義を考える活動であって,同時期に複数の人間が登場してくると,「情報量が多くなる」という実感から,拒否反応が表れ出すわけです。

 人物だけでなく,複数の「外国」がかかわり始める近代では,混乱するばかりになってしまう・・・。

 このような実態からは,小中学校の社会科で学ぶ「知識」面の順序性の課題も明らかになってくる。

 あとは,発達段階を考慮して,どのタイミングから「関連性の理解」「共通点や相違点の発見」を重視する学習を導入し始めるべきか,ということが課題になります。

 算数→数学などと違って,社会科の得意・不得意を分けるメカニズムはまだ十分に分かっているとは言えません。

 この解明に力を注ぎながら,次の次の学習指導要領を考える段階に入っています。

08/7/02 歴史学習における名脇役と主役  特定の課題の調査結果から、「主に学習過程でより強い印象をもった歴史的事象に引きつけられたこと」による習得場面での失敗が指摘されています。  ある教科の1時間の授業で学べたことを家に帰って一言で表現させると、社会科などは、教師の雑談や脱線した内容しか覚えておらず、肝心の「習得すべき内容」がおろそかになっているのがわかることがよくあります。  ここで大切なのはノートなのですが、ノート指導ができない小学校教師が担任になってしまっていたらもうおしまいです。  小学校の教師は、子どもに「あきさせない」ために、さまざまな工夫をしてくれることがあるのですが、それが導入にとどまらず、主要な展開部分でも余計な話が入ることがあるため、学習内容に焦点があたらず、子どもも何が大切なのか、何をこの授業で学ぶべきだったのかがわからず、ピンぼけのまま終わってしまうことが多いのです。  もちろん「話術」で子どもを引きつける中学校の社会科教師にも似たようなことが言えるでしょう。  しかし、さすがに中学校ではノートをとらずに授業が終わるということはめったにないので、最低限、どのような用語が理解できていればいいのか、どのような概念がわかっていればいいのかが一目で復習できるようなしくみになっています。  特定の課題の調査結果では、中学校の歴史的分野で、「関係図にまとめる学習を行っている生徒は正答率が高い傾向がある」ことが明らかになりました。これは、教師の指導の有無による影響が多いことは言うまでもないでしょう。  関係図では、丸や四角、矢印の意味を明確にしておかないとかえって誤解を生む場合もありますが、それが書かれて初めて理解できるような内容もあるわけです。  話を元に戻しますが、歴史学習では、非常に印象深い場面、絵画資料、エピソードなどが豊富にあります。  それらを学習の主役ではなく、「特別出演」「友情出演」のような扱いにし、習得すべき学習内容の名脇役として子どもに認識させるような指導が求められているのだと言えます。  もちろん、小学校段階では、「歴史的事象に興味・関心をもてるようになること」だけでも十分な気もしますが、学習指導要領に示された内容を重点的に指導し、簡単に子どもに説明させられるような授業を展開してほしいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第80問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 東京のある場所の前でのお見合いがはやりました。その場所とは?
 ① 皇居前
 ② 交番前
 ③ 忠犬ハチ公前

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 【第79問の解答
 ③のトウモロコシでした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より