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学校での三角関係 ふり返り366日【08/6/30】/第78問

 指導主事のころですが,少人数指導で課題がある教師に対して指導するときに,そこに管理職の先生もいて話を聞いているという状況は,なかなかやりにくいものでした。

 なぜなら,管理職が大事なことに気付いていないことを指摘するようなものだからです。

 ごくまれに,自分は(嫌われるから)教師たちに言いたいことは言えないが,たまにしか来ない指導主事からは,どんどん(自分が言いたくて言えなかったことを含めて)言ってほしい,そういう考え方の管理職がいるようです。

 状況から察することができるので,望みどおりに,そしてとても大事なことを,該当の教師に対して指摘するわけですが,学校として,仮に教師が変わっていくとしても,同じことばかりを言われ続けるというのはおかしな話です。

 こういう問題について,教育委員会の事務局,いわゆる教員ではなく,事務方の係長や教育長なども,理解を示してくれる・・・ということは,校長の評価が低くなる・・・こともあるでしょうが,親からの苦情とか,何か直接的な「形」になっているもののみを「問題」ととらえ,単純な低学力は「問題」とはとらえない,そんなムードがあるところが多いのではないでしょうか。

 「主幹」「指導教諭」がやるべきことは,確かにたくさんあると思いますし,このタイプの「指導」も必要だと思いますが,やはり「校長」「副校長」の一言は重い・・・はずなのです。

 管理職・指導主事・教諭,管理職・主幹や指導教諭・教諭の三角関係は悩ましい問題です。

 教師たちの機嫌をとってばかりの管理職ではなく,教師をきちんと指導できる,ということは子どもをきちんと指導できる環境をつくる,そういう管理職が増えてくれることを期待しています。

08/6/30 少人数指導のあり方にも注意と関心を!

 小学校における少人数指導の問題点を保護者の立場からも指摘しておきたいと思います。
 転落事故がおこった小学校ではどうだったかわかりませんが、2学級を3グループに分けるような算数の少人数指導を行う場合、当然担任外の教師が指導に加わることになります。
 新聞発表では、「担任教諭」ではなく「女性教諭(なぜ「女性」「男性」と断る習慣があるのかよくわかりませんが)」と表現されているので、もしや、と思いました。

 私が授業観察させていただいた学校だけでなく、子どもの通う学校にも、児童の能力・性格・行動の特性はおろか名前までわからずに「一斉指導」形式の授業をしている教師がいました。
 当然指導主事の時代には指摘せざるを得ないケースでした(これは、学校の教育課程で示していることと反することになり、校長の責任で改善してもらうべき重要な点だからです)。

 「少人数指導」というのは、少なくとも「一人一人の児童・生徒にきめの細かい指導を実施する」ことが目的であり、それができて、子どもの能力が高まることが最大のメリットなのですが、40人のときと変わらない指導では意味がないのです。それどころか、名前やクラスまで覚えていないというのは大問題です。
 今回の事故を通しては、このような指導のあり方にも目を向ける必要があるかもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第78問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 日本野球連盟,監督・選手の呼称をやめ,教士・選士と改称しました。では,マネージャーは?
 ① 助手 
 ② 秘書
 ③ 助士

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 【第77問の解答
 ②の「弾丸ライナー」でした。阪神戦の実況で野球評論家の大和球士がそのように表現してから,川上選手の代名詞になったそうです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より