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荒れの中でたくましく育つ子ども ふり返り366日【08/6/29-3】/第76問

 プロ野球でも,ピンチのときこそ力を発揮する,そういうタイプが一流選手となって,長くグラウンドに立っていられるわけです。

 高校野球や少年野球などでは,「ピンチに耐える」プレーができず,がたがたに崩れてしまうチームも見かけられます。いかにも練習をしてこなかったんだなという空気が伝わってくるものです。
 
 では,ピンチに強い人間になるためには,地道に努力を怠らないでがんばっていればいいのか,というと,そう簡単にはいかないのも現実社会です。

 新しい学習指導要領では,「習得」だけでなく「活用」を,そのためにも「言語活動の充実」を求めるようになっています。

 これは,ちょっと状況が変わるだけで,自分の力が出せなくなるような柔な人間ではなく,多少の状況変化には適切に対応して,それまで培ってきた力を発揮できるような人間になることを求めている,そういうイメージとしてとらえればよいわけでしょう。

 よく,学校が荒れた状態の中で,一方でとても立派な生徒が育っていくという状況を目にしてきました。

 これはあくまでも,教師がその荒れに適切に対応して,飲み込まれない状態が維持できた場合に限ってのことです。

 教師が荒れに流されたり,生徒に媚を売ることによって生き残りを図ったりするような学校では,決して起こらない現象です。

 平穏な状況が続く中でも,変化に対応できる生徒を育成するには,常により高い水準の要求を続けていくことが求められます。

 しかし,向上意欲の育成が不十分だと,「去年より厳しい」という愚痴になってしまいます。

 教師が子どもに対して見せつけるべき重要なことは「向上心」です。

 これを実践し,これこそが道徳教育とよべる学校が,どれだけあるでしょうか。

08/6/29 逆風のときに問われる力量【「朝令暮改の発想」より(その1)】

 私はこれまで、企業経営者の本を読んでも、あまく多くの共感を得ることはありませんでした。
 ただ、最近手にした鈴木敏文(セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長・CEO)著『朝令暮改の発想 ~仕事の壁を突破する95の直言~』(新潮社)には、教育失敗学にそのまま適用できる考えばかりが紹介されており、ここで取り上げる価値があると思うようになりました。
 さっと読んでこの本を購入することにしたきっかけは、「はじめに」の中で、

*********************
 チャンスをつかめるかどうかは、才能ではなく、ものの見方や、仕事の取り組み方にかかっています。世の中でいわれていることを鵜呑みにするのではなく、「なぜ、そうなのか」と常に問題意識を持ってクエスチョンを発し続け、自分で掘り下げて考える習慣を身につけることです。そうすると、日々起きるさまざまな出来事に対し、自分なりに理解力がついてきます。

 アゲンストのときこそ、取り組み方の差が大きく表れる。自分の仕事のフォームをもう一度見直す上で、この本が一つのヒントになれば、何よりの幸いです。
*********************

とあったこと。
 また、「仕事は毎日が瀬戸際」というフレーズ。
 まさに今の私は文字通り、瀬戸際です。ルーチンワークを除き、校務関係、教科関係、外部関係、合わせて約20のプロジェクトが同時進行で、常に結果が求められています。
 「人間は一度仕事でうまくいくと、その喜びの余韻にいつまでも浸ろうとする習性があること」、「仕事の中で惰性に陥る人がいること」は教師の世界でもよくあてはまり、惰性や妥協をなくさない限り、問題の解決は図れないという考えにも共感できます。
 「去年と同じ(内容、レベル、・・・意味はさまざま)でいいのでは」と言われることがありますが、それでは決して満足できません。
 冒頭のゴルフのたとえは秀逸でした。

 ゴルフでフォローからアゲンストに風が変わると、普通の人は「ついていない」と思う。
 アゲンストのときはボールの中心を打たないと、どこに飛んでいくかわからない。
 ということは、実力が結果にストレートにあらわれる。
 日ごろから熱心に練習し、正しいフォームを身につけて、技術を磨いていれば、アゲンストのときほど努力が報われ、努力を怠っていた人が出せないような成果が出せる。
 
 ただ、ゴルフは競技で一緒にプレーしていた人と競うスポーツですが、教育現場はそうはいきません。
 アゲンストになるともろくも崩れ去るような弱体化した教師集団では困るのです。
 「95の直言」の中には、当たり前のこともたくさんあるのですが(その当たり前ができずに苦しむ場合も)、教師の逆コンピテンシーにかかわる部分を取り出して考えてみたいと思います。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第76問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 このころになると,「節約ネタ」ばかりになります。
 大阪市が,資源確保のために捨てるのをやめたものとは?
 ① 役所や学校での使用済みの紙
 ② 動物の死骸
 ③ 火葬場の残灰

*******************
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 【第75問の解答
 ②の20倍,125万人でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より