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藤田晋の成長学・教師編6 部活動の顧問

 セオリー№6 嫌な仕事に縛られない方法

 藤田社長にも,「テレビの生出演」の仕事は苦手であり,断っているといいます。

 多くの教師にとって,「嫌な仕事」とは何でしょう。

 そのうち,「大切でない仕事」とは何でしょう。

 教育の世界には,「誰の目から見ても大切ではない」と言い切れる仕事というのが非常に少なくて,そのことが『心の病』の発症者が多い,という職業的な特質に結びついているのかもしれません。

 教師には,「断れる仕事」というのは,あるのでしょうか。

 たとえば,異動先の学校で依頼されることが多い「部活動の顧問」。

 最悪なのは,どの生徒や保護者にも非常に慕われていた教師が異動してしまった後の顧問に・・・しかも自分が専門でも何でもない部活動の顧問になることでしょうか。

 この部活動の顧問というものほど,「教育愛」だけではどうにもならないものなのです。

 しかも,その活動の価値が認識されていながら,教育課程の中には位置付けられていない・・・「仕事」なのか,「ボランティア」なのか・・・? それだけ微妙なものに,しかも優秀な指導者の後釜に指名されるなど・・・。

 さらに最悪の状況を考えれば,協力してくれそうな教師がその学校に一人もいない場合です。

 「あなたが引き受けてくれないと,部活動そのものの存続が・・・」などと脅される場合も・・・。

 本当に部活動をもたされる寸前までいった教師が,退職してしまった・・・という話を聞いたこともあります。

 小学校の先生方にはあまりピンと来ない話かもしれませんが,部活動の指導に「特に熱心」という定評がある中学校教師と結婚されると,その実態が本当によくお分かりになるかもしれません。

 部活指導が「生きがい」の教師が,どれだけいることか・・・。(・・・この意味が最近変わりかけているかもしれませんが・・・。「どれだけたくさんいることか」のつもりで書いたのですが,「どれだけいることか,本当にいなくなってしまった」と解釈されるかもしれない状況?)

 「あんな人と比べられたくない

 「あんな人と一緒にしないでほしい

 と思っても,「あの新しい先生がYESと言わないと,自分たちはピンチだ・・・(すでに自分たちを育ててくれた顧問がいなくなっているわけで,十分ピンチであることは確かなのですが)」。

 そういう目で見られる教師。

 大量採用の時代には,さすがに「若いうちは経験だ」で「ハイ」としか言えなかったのかもしれませんが,今では・・・?

 断るにしても,居心地の悪い思いがずーっと続くつらさがあるわけで,それと比べて,「では,名前だけでも・・・試合の引率だけなら・・・」という形で「顧問」になってしまう方が楽だ・・・という判断に落ち着くのが多くの場合でしょうか。

 問題は,その後です。

 部活動の「顧問」になったら,何をすべきか。

 この大原則が,「学校任せ」「伝統の引継ぎ」になってしまっている現状を,何とかすべきなのです。

 「価値のあるもの」とほとんどの教師が感じておきながら,「私はそれにかかわりたくない」・・・

 この図式は,総合的な学習の時間の指導と教師の関係と同じようなものでしょう。

 ただ,大きな違いは,学校のカリキュラムから総合的な学習の時間が外れても,それほど違和感がないかもしれないのと,子どもの生活から学校での部活動がなくなることの衝撃の落差です。

 話をもとに戻すと,部活動の顧問になったら,何をなすべきか。

 リーダーを育てることです。
 自己管理を子どもに徹底させることです。
 学校の管理職の視点から,その運営を考えることです。

 この点についての大きな原則を,都道府県レベルで打ちたてるべきでしょう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より