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藤田晋の成長学・教師編2 多忙感をおぼえるレベルで成長度が変わる

 8月4日の記事を再掲します。

 セオリー№2 忙しい時ほど平常心とマイペース
*********************

 とことん追い込まれてしまった状態になっているのに,「笑っている」人がいます。

 「こんな状況で,不謹慎な!」という怒りはもっともかもしれませんが,実はその「」が,「困難を乗り切る最善策を導く条件」をつくっているとは,なかなか気付かれにくかったのではないでしょうか。

 「怖さを忘れようとしたければ,あえて『笑う』『笑顔の表情をつくる』・・・

 そんな「技」(割り箸を歯でくわえるなど)を教えているTV番組もありました。脳生理学とかの学者もTV業界ではひっぱりだこのようです。

 「忙しい時ほど平常心とマイペース」(13頁)では,似たような「新セオリー」が紹介されています。

 ビジネスマンにとっては,以下のような言葉が参考になりそうです。

 

優先事項は目標のために最重要なものは何か,肌感覚で直感的に決めています。頭や理屈で考えると間違えますから。
 
 仕事がやたらに忙しいという時は,投げやりになっていないか自分の心に問いかけてほしいと思います。丁寧にきちんと仕事をするよう心がけてみてください。
 
 忙しい時は一番大事な目標の確認をあえてしてみる。

 教師の心構えとしてこのブログで過去に記した原則と同じです。
 生徒に「忙しそう」という印象を与えないことが,いざというときのつながりを保つ秘訣です。
 もちろん,わざと「忙しそうにする」ことであることに気付かせるという行動をとることもありますが・・・。優先順位が低いことを無理やり割り込ませようとする態度に対する指導です。
 そのときも,非常に冷静に,「忙しそう」にするのがポイントなのですが・・・。

*********************

 教師の場合,最も長い時間,子どもに向き合っているのは「学習指導」の場面です。

 学習指導という仕事がどんなに忙しくても,それがやりたくて教師になっている(はずの)人は,「多忙感」を覚えないものです。

 教師が「忙しい」という感情をもって「職場に不満」をおぼえるのは,持ちたくもない部活動の顧問をさせられてめんどうをみるとき,書きたくもない行政の文書を書かされているときなど,さまざまなケースがあります。

 いつもは「子どもたちのために!」と息巻いておきながら,部活動の話になると急に人が変わったようになる教師がいますが,これはある意味,無理のないことでしょう。他に影響が出てしまうのであれば,中途半端にやられるより,「できないことはできない」と言ってくれたほうが後の問題を抑制する効果もあるからです。

 ただ,あえてここで書きたかったことは,特に若い教師の場合,自分の本当のキャパを知るためにも,どんどんいろんな経験を踏んで実力をつけておくことが,10年後以降の成長のスピードを保障してくれるということです。

 事務的な文書については,多少のミスは管理職や学校事務の方が指摘してくれますから,その処理速度を若いうちに速いものにしておくのが重要でしょう。処理速度を上げるには,量をこなすのが一番です。

 今はエクセルなどでさくさく仕事がはかどりますから,成績処理などはどんどん引き受けるべきです。

 単なる事務文書ではなく,公開授業,研究授業の指導案づくりなども同じです。

 若いうちは質より量です。

 いろいろやってみると,実質的に「締め切りに追われる」のは,毎日の授業準備だけです。

 教材研究も本格的に取り組み始めればきりがありません。

 ある学校では夜の9時,10時まで教師たちが教材研究に没頭しているので,管理職は「どうしたら早く帰宅させられるか」ということにすごく悩んだそうです。未婚の教師は特に難しい。

 ・・・ただ,そういう理由かどうかは分かりませんが,やたらと同業者の見合い話ばかり持ってくる管理職も考え物ですが・・・。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より