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藤田晋の成長学・教師編3 やりがいのある学校

 セオリー№3 人手不足の職場は評価を高める好機

 以前にも,現行の人事考課制度では,仕事はできるのが当たり前なのでいい評価を得るのは難しいのですが,「課題の多い学校」に異動して,難易度が高い目標をクリアすることで,高い評価を受けることは可能であることを紹介しました。

 よく学校も「人手が足りない」という言い方をされる場合がありますが,では「新規採用○人つけよう」と言われたら,即刻断る学校も多いのです。
 それは,簡単な話,人が増えれば問題が解決する,・・・学校はそんな単純な職場ではないからです。
 また,新規採用の教師の場合は,指導教諭がついて研修に付き合ったり,初任者研修を受けるために校外に出て行ったりと,職場にずっとはりついているわけにもいかないところが,学校の中には「重荷」になるところもあるわけです。

 つまり,学校で「人手がほしい」と言ったときには,ベテランのやり手がほしい,ということに他なりません。

 でもそう簡単にはいかないので,・・・・簡単にいかないからこそ・・・・一人一人の教師たちに成長のチャンスがまわってくるわけです。

 人手は足りないと言いながら,ほとんど発言しない教師がいるような会議が学校にはないか,どうか。

 学校は,それぞれ独自に,無駄を省くための努力をどのくらいしているのでしょうか。

 企業でも,事業をまわしていくときに,人数が多すぎて失敗した,という場合があるようです。

 「人手が足りない」ということが特に強調されるのは,いつか・・・そういうことを確認したことはあるでしょうか。

 これはつまり,その「忙しさ」が恒常的なものなのか,一時的(季節的)なものなのか,一過性のものなのか・・・そういう見極めがきちんとできているかどうかということです。

 学校は,みんながみんな同じような責任をもってみんなでやっていく・・・そういう文化があるから,会議に余計な時間ばかりかかるのです。

 みんながみんな同じように責任をもってやっていく気があるのなら,会議に提出するような書類は前の日までに作って配っておき,それぞれが読んで理解した状態で会議に入るべきです。

 一人が書類を作ったり,読んだりする時間はけっこうかかるように感じますが,全体で集まったときに説明したり読んだりするより,ずっと短い時間で済みます。

 会議の見直しは全学校に共通する課題だと思われます。

 特定の提案に対してだれが責任を負うのかはっきりしない状況が,学校の無責任体質を助長しています。

 その提案のほとんどが管理職から出され,一部の職員の反対意見がくどくどと出される職員会議ほど,無駄なものはありません。

 できるだけ一人にかかる責任が重くなるように(そしてそれが適材適所に分散されるように)することが,一人一人の力量UPにもつながり,異動しても自信をもって「○○と◇◇はできます」と言えるような教師になれるわけです。

 だれかに多くの仕事が集中するような仕組みがあると,「人手不足の職場は評価を高める好機」とは,嫌らしく聞こえる言葉に過ぎなくなるでしょう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より