藤田晋の成長学・教師編9 「ぶつける」タイミング
セオリー№9 不満はため込まずその都度ぶつけよう
ここでの「不満」は,ただの「イラつき」のことではなくて,「正当性」のある「不平・不満」のことをさすようです。
教育の世界では,180度「信念」が違う人が存在しますから,いつでもどこでも「正当性」のある「不平・不満」は転がっているものです。
ただ,それを「ぶつけて」みても始まらないことがわかっているので,普通は何事も起こりません。
それでも「今ぶつけないと,相手の教師(またはそのときの子ども)がダメになる」といった場合には,ときと場所を考えて,できるだけタイミングを逃さずに「ぶつける」ことが重要になってきます。
生徒指導についても全く同じですが,ずっと前に言われるべきことを今ごろどうして言うの?・・・という理由で反発をくらう教師がいます。
いくつか問題点をためておいて,まとめて「ぶつける」ケースも。
それはまずいわけです。
「その都度ぶつける」のは,自分にとっても,相手にとってもストレスがかからないコツになっているようです。
あとは,「不満をぶつけている自分」をイメージで外から眺めて見て,思いとどまる(解消する),という方法もありますが,なかに,それで自己満足の世界に入れる人がいるのはやっかいなことです。
相手にストレスを与えている自分というのが意識できない人には,あまりお薦めできないセオリーですね。
« ニュースにならない学力調査 ふり返り366日【08/6/28】/第74問 | トップページ | 気付いてほしい教師の「役」意識 ふり返り366日【08/6/28-1】/昭和14年のブーム »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
« ニュースにならない学力調査 ふり返り366日【08/6/28】/第74問 | トップページ | 気付いてほしい教師の「役」意識 ふり返り366日【08/6/28-1】/昭和14年のブーム »
コメント