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藤田晋の成長学・教師編5 暗黙の前提?

 セオリー№5 上司に期待しない方が成長できる 

 生徒編では,部下=子ども,上司=教師という図式で,互いにどのような影響を及ぼしあうことが効果的なのかについて述べました。

 教師編では,部下=教師,上司=管理職でかまわないでしょう。主幹教諭を上司としたときの関係も考察すべきでしょうが,ここでは簡単に上司=管理職の場合の結論だけ。

 管理職に期待していることは何ですか・・・・

 こういうアンケートを現役教師に投げかけてみたら,建前では,そして,ホンネでは,それぞれどのような答えが集まると思われますか?

 ある現役小学校校長は,「校長の価値は次にどれだけいい小学校に異動させられるかで決まる」とおっしゃっていました。

 「いい小学校」とは何か・・・これも話せば長くなりますが,だいたい,「地区」別の異動希望の偏りを見ればわかることでしょう。

 中学校でも,「どのような戦力を引っ張ってきてくれたか?」で評価は左右しそうです。

 現実的に,教師の世界には,「管理職に期待しない方が成長できる」というアドバイスはあまり効き目がなさそうです。

 「管理職にやる気を出させるのは危険だ」と考えている教師・・・研究推進校などもって来るなよ!仕事を増やさせるな!という人たちにとっては,授業見学もせずにただ黙々と校庭の草取りをしてくれていた方が「安全」「安心」なのでしょうから・・・。

 ビジネスの世界では「みんなが成長したいと願っている」という暗黙の前提があるようですが,教育の世界ではまずそれを「前提」にできるような努力が必要なのかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より