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藤田晋の成長学・教師編4 心の病を癒す生徒

 セオリー№4 職場のストレス発散はブログで

 仕事にストレスを感じている人で,それが仕事に悪影響を与えている自覚がある人は,できるだけ早くストレスは発散してしまうべきでしょう。ただ,ストレスの発散・解消というのが,なかなか難しい。

 読んではいないのですが,幻冬舎新書に「境界性パーソナリティ障害」(岡田尊司著)という本があります。

 新刊紹介の文章に,「優秀でまじめな人が犯罪まがいの行動をする」・・・「こまった性格」のあの人,実はビョウキだった!・・・というものがあり,たとえば教師の犯罪が報道でよく取り上げられるのを見ると,そして,校長などが(さすがにふだんから怪しかった・・・とは言えないでしょうが)「真面目な先生だったのに」と釈明をする場面もよくあることから考えると,これもビョウキのせいなのか?と思えてきます。

 ただ,この「ビョウキ」が困った病気なのは,新たな被害者を生んでしまう,ということです。被害者とは,学校なら主には子どもです。

 学校には「心の病」と診断されることになる状態で職場を離れている教師がたくさんいることは,新聞でも定期的に報道されていますから,子どもでも分かっていることです。

 自分が通っている学校に,「心配だ」と感じられる教師がいる・・・たとえば,よく遅刻してくる教師(たとえば月曜日には必ず遅刻する),欠席が多い教師(それが突発的な欠席であるため,授業変更ができず,自習になってしまうケースが多い)などがいたとしたら,ほとんど赤に変わりかけた黄色信号です。

 子どもの中には本当に「思いやり」のある生徒というか,「調整能力」「治癒力」のある生徒というのがいて,このような教師に何かを声をかけて,「安定化」を図ってくれることがあります。

 逆じゃないか,と思われるかもしれませんが,実はカウンセラーよりよほど貢献しているのが子どもです。

 子どもと話すこと自体,子どもと接すること自体がストレスになるという教師は,すぐにでも辞めた方がよいでしょう・・・それなのに辞められない・・・現場では,このことが最大の悲劇なのでしょう。

 ブログでストレスを発散するのもよいですが,「そんな時間が教師にあるわけないだろう」と言われるのであれば,短い時間でも子どもとのコミュニケーションを大事にする,それが最良のストレス発散方法でしょうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より