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満たされないから努力する?苦情を言う? ふり返り366日【08/6/7-2】/昭和11年2月のデマ

 「幸福感」ばかりに満たされながら成長した人は,さらなる「幸福」をどのように満たそうと考えるのでしょうか。
 「幸福感」とは,人から与えられるものでしょうか,自ら獲得するものでしょうか。みんなで共有するものでしょうか。
 「幸福感」にいたるハードルが,どんどん高くなっていることに教師たちは気付いているのでしょうか。
 それに気付きながら,対応しようと努力しているのでしょうか。
 
 「かわいい子には・・・」という姿勢は教育の場では死んでしまったのかもしれません。

08/6/7 幸福追求権のストライクゾーンと国民の禁止事項  私は教育現場と行政の経験から、幸福追求権のストライクゾーンについては、中高生ほど余計に小さくとる必要があると考えています。  ただでさえ幸福追求権は、以前に述べたような捉え方があるのと、憲法でいうと第12条の規定である「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、・・・(中略)・・国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」ことが、第13条の前にあることをしっかり教える必要があるからです。  「憲法で示されている国民の禁止事項は何か?」  「憲法で示されている国民の責任とは何か?」 という質問に、大人でもこの第12条をすぐに答えられる人は少ないのではないでしょうか。  公共の福祉のことは議論されていますが、この「国民による自由及び権利の濫用の禁止」はなぜ必要なのかということについて、理解できている大人が少ないために、数多くの問題がおこっています。  「定められた制服を着用しない」ことは、私の造語でいうと「私共(わたくしども)空間」の論理です。「公」と「私」の区別ができなくなり、「公共の精神」が失われていることが、学習指導だけでなく生活指導を非常に負担の重いものにしているのです。  そのような問題を解決する任務をもつ「公教育」には、「公共性を自覚させるという意味でもフォーマルな服装を定め、それを着用することを求める権利がある」と考えています。  自己決定権についても、違憲審査基準において、服装の問題は人格的生存の核心部分にあたるものではありません。  中心はあくまでも安楽死や尊厳死、子どもを生む・生まない自由などの問題です。  服装について、幸福追求権を拡大解釈する最大のデメリットは、学校が「公」の空間であることがさらに認識されづらくなり、コントロールが難しい「私共空間」に移行してしまうことだと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第49問】 
 昭和11年(1936年)の話です。
 この年と言えば,2・26事件です。事件の5日前,つまり2月21日に,あるデマが東京で流されました。そのデマとは?
 ① 大阪の商店街が地震で全滅した
 ② 今上(昭和)天皇が暗殺された
 ③ ある衆議院議員が怪人二十面相だった

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 【第48問の解答
 驚かれるかもしれませんが,③が正解です。内務省が,続発する自殺を防ぐためにとった措置です。それまでは,青酸カリは簡単に手に入る「薬」だったようです。

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コメント

軍人と一言で表現しても,さまざまな立場の人が考えられますね。
そして,軍が一枚岩で存在しているかどうか,どのような権限をもっているかどうかでも・・・。
戦争を避けるということに全力を果たせる軍が,国民に要望することとは何でしょうか・・・?

kurazohさんは教師よりも軍人向きの人かもと思います。
kurazohさんと私が軍人なら、その職に関しての制服についての考えは
一致していたことと思われます。二人三脚で共に仕事を頑張れたでしょう。
なので軍人どおしの方が良かったですね。
私は事務方でしょうね。kurazohさんも事務方ですか?それとも・・。
まあ、夢物語ですが。空想してみました。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
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    「奇貨居くべし 黄河編」より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より