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「話し合い」主義 ふり返り366日【08/6/22】/昭和13年の初登場

 「話し合いによる決定」は,聖徳太子の十七条憲法や明治新政府の五箇条の御誓文でも重視されていることなので,学校教育でもなるべくそのような機会を設けたいのですが,それがあまり実践されない理由は二つです。

 1.時間がない
 2.(学校にとって)望まない結果になる場合が多い

 時間の問題は教師の「言い訳」にしやすいものでもありますが,直接民主制のような形でことを進めようとすれば,時間はいくらあっても足りないということになってしまいます。

 たとえば,「学校へのお菓子の持ち込み」ということを話し合いで進めようとしたら,どんなことになりそうでしょうか。
 そして,「話し合いをする」必要性が生まれているということは,多くの場合,「禁止を解除する」ことなので,「今まで禁止してきた理由」がある場合は,簡単には認めにくいわけです。

 ところで,「憲法十七条」と言えば,役人の心得を説いたものだと説明されますが,有名な最初の三つ以外を,私たち教師,あるいは,もうすぐ選挙で選ばれようとしている人たちなどは,どう考えていったらよいのでしょうか。

 4.役人は,礼儀を重んじなさい。
 5.裁判は,公正に行いなさい。
 6.をすすめ,をこらしめることをたてまえとしなさい。
 7.役人を採用するときは,任務にふさわしい人を求めなさい。
 8.役人は,朝早く出勤し,おそく退庁しなさい。
 9.すべてのことに真心をもってあたりなさい。
10.寛容な心をもってことにのぞみなさい。
11.功績と失敗を見分けて賞罰を行いなさい。
12.役人は,農民に重税をかけてはならない。
13.自分の仕事の内容をよく理解しなさい。
14.他人に嫉妬の心をもたないようにしなさい。
15.私欲を捨て,公私の区別をつけなさい。
16.農民を労役に使うときは,農業のひまな時期にしなさい。
17.ものごとは,一人で決めず,よく議論してから決めなさい。

08/6/22 ルールづくりを通してのよりよい「社会」づくり

 よたよたあひるさんから、法教育、法関連教育を推進する立場の人、生徒会活動などの自治によって「生きる力」を身に付けることが必要だと考えている人には、たいへん参考になる具体的事例を紹介していただいたので、記事の方にコピーします。

>娘達の学年は、入学当初から落ち着いたいい子たちではありましたが、先月の修学旅行では、「規則なしの修学旅行」を先生方から提案され、生徒達は「これまでやってこれたんだからなんとかできるんじゃないか」「いや、せっかくこれまでうまくやってきたのを修学旅行で失敗したら残念だからやっぱり共通ルールを作ったほうがいいんじゃないか」と大激論の結果、「YES OR NO ポケットに仏像を入れますか?」というスローガンを立て、持ち物の規則などはつくらない、でも、皆が気持ちよく過ごせる修学旅行にしよう、ということになったそうです。・・「仏像をポケットに」はありえない比喩ですが、要するに、学校で決めた紙に書かれた規則ではなく、常識を基準に自分達で判断しよう、ということですよね。
 ただし、日中の活動は制服着用、ということになっていました。これも学校が、というよりも生徒が決めたことだそうです。うちの娘などはかなりがっかりしていましたし、多くの保護者もそれまで修学旅行は私服が続いていましたからちょっとびっくりしていました。
 結果、なかなか良い旅行だったようです。
 
 ある立場の人たちに言わせると、「制服」か「私服」かにそろえること自体、憲法違反だ!ということになってしまいますが、常識的に考えて、同じ時間帯の話ならどちらかに統一するのは当然のことでしょう。
 学年という「社会集団」の生活から学べることは何でしょう。
 社会集団のルールづくりを考えるときには、まず「なぜそのようなルールをつくることが必要なのか」という問いからスタートします。「人に迷惑をかけないように」「自分勝手な行動をおこす人が出ないように」など、子どもでもさまざまな視点からのルールづくりへの価値観が確認できると思います。
 日中は制服で、宿舎では私服。
 これは、日常生活と同じルールを適用するという趣旨でしょう。
 日中は、公的な場で、公的な活動をしている。そのことを自ら示し、他の人からも認識してもらうために制服であることが必要である。
 私の言い方だと、「公共空間」の中に「私共(わたくしども)空間」が生まれないようにする、最も簡単な歯止めの方策ということになります。
 宿舎では、公的な集団としてお世話になっているとは言っても、部屋割などもあって、一種の家族生活のような少人数の単位の集団生活となる。緊張を和らげ、リラックスして自由時間などを過ごすためには、私服が最適であろう。・・・このような価値観による判断が下されたのでしょう。
 次に、ルールをつくるという選択肢以外に、問題を解決する方法はないか、議論させる。そして、ルールをつくってしまったときのデメリットを考える。

 そこで、「皆が気持ちよく過ごせる修学旅行にしよう」という目標を立て、自主・自律の精神でルールではなくそれまで培ってきた互いの信頼関係を重視し、目標の実現を図る。そういう選択肢が生まれたのですね。
 「私共空間」を生まないようにする方策としては、理想に近いものです。
 「みんながつくったルールは、みんなで守る」「みんなのための目標は、みんなでその実現を図ろうと努力する」・・・そういう価値観が共有できた学年は理想的な集団になりますね。
 ただ、規範意識に課題がある生徒については、教師ではなく、生徒集団からの強い圧迫感を受けることになります。「少数意見は尊重すべきなのだから、多数決で決まったことも守る必要はない」という「強い個人主義」の持ち主です。
 民主主義は全体主義に結びつきやすい傾向があることは、多くの人が感じ取っていることでしょう。ですから「民主主義」は究極のしくみではない。(朝鮮「民主主義」人民共和国を見ればわかりやすい?)
 中学校段階では、まず価値観というのが多様であること、だから当然「対立」という現象が生まれること。どうしたらその「対立」を「調整」できるか。「妥協点」をどこに見出すか。どうしたら「協調」できるか。・・・そんなことを考える習慣をつけさせることが必要です。
 すべての問題について「日本国憲法」を盾にする人たちが最もやっかいなのですが、そこを解決する教育が「法教育」「法関連教育」であり、その実践事例も徐々に蓄積されていくだろうと考えています。

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ブログランキング 歴史

昭和13年(1938年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○東京市バスに木炭自動車が初登場。
○東京市の町会規約に初めて「隣組」が表記される。
○東京・銀座にホットドッグの屋台が登場。
○東京・有楽町の東京日日新聞社(現・毎日新聞)屋上に東京初のプラネタリウムが開設。
○アメリカ・デュポン社がナイロンストッキングを発表。
○おもちゃの「ハシゴ付き自動車(消防車)」登場。
○岩波新書刊行。第1弾は斎藤茂吉『万葉秀歌』など。
○大阪市立運動場に,わが国初のアンツーカーが設置される。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
*昭和13年に廃止・中止・禁止されたもの。
 ○東京駅構内の人力車,車におされて廃業。
 ○産児制限相談所が警察命令で閉鎖に。
 ○学習院初等科,英語授業を全廃し,修身授業を増やす。
 ○資生堂,原材料事情悪化で化粧品114品目の製造を中止。
 ○官庁,夏期半日制を廃止。
 ○映画俳優や少女歌劇などのスターにサインをねだることを禁止。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
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    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より