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大学から発信可能なこと ふり返り366日【08/6/20】

 教育ブログにおける教師の愚痴の中で最もむごいのは,生徒の低学力問題でしょう。
 材料は無尽蔵にあるわけですから・・・。
 内田樹も自分のところの院生の愚痴をこぼしていますが,大学はおろか大学院の「有難さ」までも喪失されてしまいそうな日本はそれで国際比較されると非常に厳しいでしょうね。
 学問(と言えるかどうかという問題もあるでしょうが・・・「学問の自由」という最終兵器に守らるのが大学でしょうから・・・)の「大衆化」という尺度では日本はかなり上位になるはずで,その傾向は「高校生に授業をする大学教授がそれを題材に本を出す」という面に表れているようです。

 大学の先生が今一番嫌な思いをしているのは,「出来が悪い」と嘆く学生からもらっている「授業評価」でしょう。

 以前から書いているとおり,この評価を最大限活かして,人・物・カネを動かさなかければならないというプレッシャーを経営側にかけれるかどうかが重要なのですが・・・。

 いずれにせよ,「40人学級」というわけにはいかない大学の授業で「学力向上」が図れるかどうかは疑問ですが,「こうすれば効果が出る」というアピールが特に「指導困難大学」から出されれば,それが義務教育の改善に役に立つかもしれません。

 「教科教育法」の研究者が幅を利かせている大学が,こういう分野でリードできればいいのでしょうが,なかなかこういう大学から教師になれる人も少ないと聞きました。

08/6/20 教師の愚痴のパターンは教育ブログを参考に! >ブログを通して感じるのは、教員は愚痴を言う傾向が強いということです。ハードルの高いブログですらこうなのですから、日常会話の中ではもっと酷いと考えるのが自然というもの。愚痴の中に愛情があればいいのですが、なかなかそういうわけでもない。    このような psycheさんからのコメントをいただいてから、こういう類の記事がないか探してみたら・・・、次々に見つかりますね・・・・。教師は傷をなめ合うというか、慰め合うというか、かばい合うというか、本当に記録にとって文字におこしたものを冷静に読んでみたら、自分がどれほど取り返しのつかないことを言っているかが自覚できるようなことを、平気で垂れ流しているものです。(自分の記事にも・・・ほとんどが愚痴と言ってしまえば愚痴ですね・・・)  ブログはともかく、勤務時間中に長々と愚痴を言うことができるのは、空き時間というものを持っていて、そのメンバーが一カ所にかたまるような環境のある教員に特有なものかもしれません。  最近紹介した本の著者は「そういう場合は聞かないふりをしろ、またはその場から立ち去れ」というのを「すごい習慣」としていますが、ついつい興味がわいて聞いてしまうのがこのタイプの話でしょう。  こういう教師たちの悪習は、そっくりそのまま子どももやっているのが笑えないところです。  自分の学校の教師たちは、職員室で愚痴ばかり言っているかどうか、よく知っているのは生徒たちでしょう。  空き時間に職務専念義務違反を犯して世間話に没頭できてしまうような学校は危ないのです。  教師の愚痴のパターン調べは、教育ブログを参考にしてみましょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より