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自由と迷惑 ふり返り366日【08/6/20】/金魚酒とは?

 煙草を吸う権利を要求する中学生にはほとほとまいりました。

 しかし,こういう行為にも非常に甘い日本ですから,「家で吸っていて人に迷惑をかけないならいいだろう」という親の言い分にも,毅然とした態度がとれない教師が多かったのです。

 薬物乱用の問題についても,犯罪被害者という立場を経験しない限り,その防止活動の意義が自覚できる教師・親は少ないかもしれません。

 薬物乱用防止教室というのを実施している学校はどのくらいあるのでしょうか。
 
 芸能人の逮捕の陰に隠れてしまっていますが,東京都の公立中学校の副校長も逮捕されています。

 人への「迷惑」がどんなことなのか,「自由」を求める自分の心への反省をどう促したらいいのか,・・・それは時間やお金に換算するのではなく,「心」や「気持ち」の問題として扱うという教育のスタンスは大切なのですが,結局効果がないまま,変化がないまま子どもが成長してしまうのなら・・・と舵がきられる日が来るのもそう遠くないかもしれません。

08/6/20 自由によって何を達成したいのかを問う教育  よたよたあひるさんからのコメントをいただいて、公立中での「ラッキーなこと」とは何か、と考えてみました。  生活指導のうち、服装指導は、一つの学校の中でも徹底するのは難しいものです。  よく生活指導のレベルは学校から生徒が帰ったあとの靴箱を見れば一目瞭然だと言われますが、きっと服装をいじっていない生徒が多い学年は、靴のかかとをふんでいる生徒も少ないことでしょう。  このような指導は、教師の中でも逃げたがる人が多く、学校全体がよくなるというのは異動がある公立学校では一時的な現象かもしれません。その分、荒れたときの修復にも時間がかかるものです。  どうしてそこまでして服装指導にこだわるのかと聞かれれば、「だらしない格好や汚らしい身なりを嫌悪する人間が社会にはいるものだ」ということを子どもにわからせるためです。  「自由の獲得」が目的になってしまっている人には、何を言っても無駄で、議論にはなりません。  「自由を獲得する目的」を明確にして、その自由が何を達成するための手段であるかを問う教育が求められているのだと私は考えています。  これはまだデータ数が少ないので仮説の段階ですが、同じ能力をもっていて、成績が高くならない生徒の共通点は、規範意識に問題があることです。  これが実証されれば、教師だけでなく保護者にも、規範意識を高めるような教育に力を入れるようになるかもしれません。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第68問】 
 昭和13年(1938年)の話です。
 市場に「金魚酒」というお酒が出回るようになりました。この名前の由来は?
 ① 金魚が泳いでも死なないため
 ② 金魚の養殖の業者が製造したため
 ③ 空前の「金魚」ブームが起こったため

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 【第67問の解答
 ②の大阪府でした。

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コメント

生徒の煙草禁止は私も賛成なのでご安心くださいね(念のため)。
ご心配かけていたらすみません。

髪型・服装の自由の件ですが、
kurazohさんが君主でマキャベリが部下であったなら、
きっとマキャベリは、恨まれてはいけないとの助言をしただろうと思います。
それは恐喝などでは決してありませんので。
私は、友として、大切なkurazohさんのお役に立てばと思っています。
kurazohさんが生徒から恨まれることのないように、
元気に幸せに教師をつづけられますように願っています。

自由を獲得するのに「恨み」で相手を恐喝する方法もたしかにありますね。
多くの教師にはそういう恐喝も有効的なのでしょう。
犯罪行為や迷惑行為を取り締まることで「恨み」を買うおそれがあるのは警察官ばかりとは限りません。

こんばんは。
>煙草を吸う権利を要求する中学生にはほとほとまいりました。
kurazohさんでも、まいられることがあるのですね。
何かかわいいです。それで、そのような中学生には、どのように対応すべきなのですか?

>「自由を獲得する目的」を明確にして、その自由が何を達成するための手段であるかを問う教育
kurazohさんのお考えでは、やりたいことをやりたいようにやることのメリットは,
「自由」が保障されていることへの安心感とそのときの欲求が充足される満足感が得られることでしょう。
とのことで、それについて同意いたします。

自由が保障されることによって、生徒は、自由獲得のために時間とエネルギーを割くことなく、
そのための時間を勉強にまわすこともでき、自由獲得が学力向上につながる場合もあるでしょう。
もちろん、自由獲得で、遊びほうけてしまう生徒もいるでしょうかね。
人は十人十色ですからプラスにはたらく子もいれば、マイナスにはたらく子もいるということでしょうね。
教師が生徒の自由を侵害することにより、その生徒が、
一生その教師を恨みつづけ、不幸な人生を送り、果ては激しい怨恨により、殺人事件等にも発展してしまう可能性もありえます。

髪型・服装の自由を認めなければ、生徒などから恨まれて殺されるかもしれませんが、
髪型・服装の自由を認めたからと言って、恨まれて殺されることは、まずない(はるかに少ない)だろうと思います。
どちらが、真に生徒の幸せ(教師の幸せも)につながるかは、いわずもがなだと思います。
恨みを避けるためには、自由を認めることが賢明なことだと思っています。
私が尊敬しているフィレンツェ政庁の官僚であり、「君主論」や「政略論」で有名な政治思想家の
ニッコロ・マキャベリも言っていますが、恨みは避ける必要があると思います。
恨みは何としても避ける必要があると思います。
恨みを避けることは、教師やその家族の幸せ、生徒やその家族の幸せにつながるのですから。
私の経験から言えば、教師が生徒の人権(自由・権利)を侵害すると恨みを買う場合も多いと思います。

私も15歳のときに、人権を侵害してきた(暴力・暴言など)某教師を恨んでいますし、
kurazohさんも心底恨んでいる教師(恩師ではなく怨師)の一人や二人はいらっしゃるのではないでしょうか?
その教師がいなければ、私は今よりも幸せでいられたと思います。

私は、人からおそれられてもいいですが、恨みだけは避けなければならないものだと考えています。
kurazohさんも生徒の恨みを買わないようお気をつけくださいね。
それがkurazohさんのためにもなると思っています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より