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自由研究のアイデア ふり返り366日【08/6/19-1】/おとぎ列車

 「自由研究」という「宿題」がありますが,これは「自由」なのか「強制」なのか?

 「宿題」だから「強制」でしょうね・・・。

 子どもが「自由研究」の題材探しに迷って,親があわてて「自由研究の本」を書店に探しにいくようでは,現行の学習指導要領の趣旨は明らかに学校で教育され,身についてはいなかったことが証明されます。

 もし「自由研究」の題材探しに困ったら,まず取り組んでみるのは「マインドマップ」(フィンランド語ではアヤトゥス・カルタ)づくりでしょうか。

 「昨日の食事」からマインドマップをつくるとしたら・・・?

 ハンバーグ→肉→オーストラリア→えさ→・・・・

         肉→牛肉→国産→畜産県→鹿児島→・・・

                国産→食料自給率
                     →やや高まっている理由は?・・

 にんじん→農家→冷夏?→

            冷夏→消費の低下→企業の収益への影響・・・

 マインドマップ作成手帳なんて家庭に一冊あるとおもしろいのでは?

 (例) 父・・・ニュースからの連想
     母・・・1週間のメニューづくり

08/6/19 夏休みの塾ライフ  公立学校の教師がのんびりデスクワークをしたり研修に出かけたり書類を作っている間に、進学塾はかき入れ時になります。  その受講料が半端でなく高い。  「あんたに今までいくらかけてきたと思っているの!」とカツを入れられる将来を恐れながら、夏期講習に通う生徒たちは、決められたメニューをただ黙々とこなしていく・・・。夜は夜で通常の塾の学習・・・・。  だれがどう考えても、公立で言えば学校に支払う6年間分の教材費より高い受講料をひと夏につかって、長時間学習をする生徒と、伸び伸び外で遊んだりプールに行ったりゲーム三昧で過ごす生徒とでは当然のように学力差が開くでしょう。

 しかし、夏休みというものが、信じられないほど苦痛の毎日になるであろう子どもたちを想像するだけでも本当に寒気がします。
 一方では、経済的に恵まれないために、友達がみんな塾に通っているのに、そこで一緒の時間を過ごせない子どももいます。
 夏は遊んだ経験と8月下旬に宿題に追われる経験しかない自分にとって、もし家庭に経済力があり、塾に通うような学校生活を送っていたら、どんな人間になっていたのだろうかと考えると、どちらかというと嫌な予想が先に来ます。
 夏に入る前に、塾に通わない生徒から、「夏休みはどんな勉強をすればいいのですか」と聞かれることがあるのですが、私は必ず「どんな勉強がしたいの?」と聞き返すようにしています。
 「学校は何も教えてくれない」とお叱りをいただきそうですが、学べる題材はいたるところに転がっていることを常に教えているつもりなのですが・・・。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第63問】 
 昭和12年(1937年)の話です。
 8月25日に,国鉄がある「おとぎ列車」を走らせました。その名称は?
 ① かぐや姫・トレイン
 ② 白雪姫・トレイン
 ③ ミッキーマウス・トレイン

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 【第62問の解答
 ①の神風号でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より