大胆なノート ふり返り366日【08/6/18-1】/名古屋城の金鯱
学力向上策を子どもに直接訴えるとき,私は「ノートへのこだわり」を第一優先にしています。
これは,担当している教科だけでなく,どんな学習にも適用(応用)できることだからです。
今までにも紹介しているかもしれませんが,ノートは,「大胆に使う」。
一般的には「余白を大きく,後で書き込めるように」という指導がありますが,「大胆さ」というのは,それに限ったことではありません。
ときには,一つのテーマでノート1冊を埋め尽くしてしまう。
私は,「石油資源」というテーマで新聞のスクラップを中心にした100枚ノートを2冊作ったことがありました。
エネルギー・環境教育は,今後の学校教育でもさまざまな場面で扱われるものになるでしょうが,一つのテーマにこだわってとことん資料を集め,「何かをつかむ」経験が,いろんなところで生きていくでしょう。
「大胆さ」は,教科によって,書き方をどんどん変える。
あるいは,同じ教科でも,単元によって,どんどん変える。
そんなノートの中から将来,「○○がつくった必勝ノート」などというタイトルで商品になるものが出てくるかもしれない・・・なんて幻想を抱きながら,オリジナルを目指して工夫する・・・。
内容がほとんど頭に入らないような「整理されたノート」ではなく,内容が頭の中に整理されていく過程が見えるような「動態的なノート」というのが,「大胆なノート」の真骨頂です。
08/6/18 プロの教師と生徒のプロで創る授業 その4 本人なりのこだわりが必要 プロには、遊びと仕事の境目がありません。 プロの極みは道楽にあるとも言えます。 どんなに時間がかかろうとも、こだわるところにはこだわり抜く。 どんなに労力がかかろうとも、気持ち的に、全く苦にならない。 本物のプロは、人から指示を受ける前に、自分ですべきことができる存在です。 今日の日経の「文化」面には、写真では本物にしか見えない紙の甲冑づくりの名人の話が掲載されていました。 本業はうどん屋さん。 「注文を受けることもあるが、丁重にお断りしている。プロではないので頼まれ仕事は苦手で、強い衝動がないと作れない。」 丹精こめた作品が国宝の神社などに納められ、大切にされると、本当にやりがいが感じられると言います。 「頼まれ仕事は苦手」といっても、プロに負けない「強い衝動」で優れた作品が生み出されていく現場の空気を、ぜひ子どもたちに感じる機会を設けていただきたいと思います。学校の勉強を、うまく「趣味の世界」に重ねていくことが、生徒のプロです。
生徒のプロは、大勢で一人の教師に向かって学習しながらも、自分の流儀の何かを実践しています。
そして、最も集中してその流儀を実行できるのは、一人で机に向かっているときでしょう。
どうしてそんなことに時間を使うのか、他人にはよく理解できないことに没頭できる内容をもっている生徒はどんどん伸びていくものです。
それが本来の目標に近づくのに最短距離でなかったとしても、目標にしていたことの定着度が格段に違います。最短距離だけを教える塾では生徒のプロをつくれませんが、まわり道をたくさん知っている多くの講師に恵まれている塾は伸びる生徒を育成できるでしょう。
私が教育実習生に簡単に「よい授業」をさせない理由はここにありますし、簡単にできる「よい授業」の仕方を聞いている人を軽蔑する理由もここにあります。
*******************
昭和の家庭史トリビア?【第61問】
昭和12年(1937年)の話です。
1月4日に名古屋城のあるものが盗まれました。それは何?
① 金鯱のうろこ
② 金鯱の尾ひれ
③ 金鯱の目玉
*******************
ブログランキング 歴史
【第60問の解答】
③のシーツでした。結婚ブームで新婚さんが使用したことから普及したようです。①は昭和2年頃,②は昭和7年のことでした。
« 藤田晋の成長学・教師編2 多忙感をおぼえるレベルで成長度が変わる | トップページ | 教師の「飢え」とは? ふり返り366日【08/6/18-2】/第62問 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「歴史学習」カテゴリの記事
- 皇族への言論弾圧(2018.11.30)
- 正倉院展を訪れて(2018.11.06)
- 日本における戦後の急速な発展を支えた教育とは?(2018.09.22)
- 近づきにくい人に近づく方法(2018.09.10)
- 縄文女子と飯盛山のさざえ堂(2018.08.15)
「昭和の家庭史」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 9月22日 犠牲にするものが変化した(2017.09.21)
- 9月16日 子どもがテレビを見なくなった(2017.09.17)
- 長子・中間子・末っ子,一人っ子の特質(2017.01.22)
- 【データから考える教育-7】 子どもの自立への不安(2016.09.18)
「学力向上」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 普遍性,汎用性があると誤解する「研究者」たち(2017.11.10)
- 小学校の授業を参考にする高校教師(2017.11.08)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
この記事へのコメントは終了しました。
« 藤田晋の成長学・教師編2 多忙感をおぼえるレベルで成長度が変わる | トップページ | 教師の「飢え」とは? ふり返り366日【08/6/18-2】/第62問 »
コメント