ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 大胆なノート ふり返り366日【08/6/18-1】/名古屋城の金鯱 | トップページ | 藤田晋の成長学・教師編3 やりがいのある学校 »

教師の「飢え」とは? ふり返り366日【08/6/18-2】/第62問

 どうでもよい失敗をさけたがる一方で,大きな成功ばかり望んでいる・・・そういうちぐはぐさは,宝くじを買う人の心理などを解明している「行動経済学」の本を読むと納得してしまうことが書いてあります。

 さて,その「失敗」についてですが,村上龍は「無趣味のすすめ」(幻冬舎)の中で,こんな考え方を紹介しています。

 成功者の「輝ける失敗」と,
 罵られるだけで終わる「ただの失敗」
 の間には,埋めようのない溝がある。

 失敗を糧として成功する人は本当にごくわずか

 何かを得ることができるのは,挑戦する価値があることに全力で取り組んだが知識や経験や情報が不足していて失敗した,という場合だけ

 ここで,はっとさせられる一文に遭遇します。

 そもそもたいていの人は,挑戦する価値のある機会に遭遇できない。

 確かに,公務員などの場合は,「挑戦する価値のある機会は?」と聞いても,「昇進・昇任のための試験」くらいのことしか返ってこない人がいるかもしれません。

 村上龍は挑戦する何かに出会うための条件は,「飢え」があること,と言いますが,確かに「公務員が何かに飢えている」とは考えにくい・・・。

 ・・・ただ,私のスタンスとしては(他の世界を知らないからかもしれませんが),「公務員の中でも,教育の世界だけは別だろう」というものです。

 別に大きな「財」をもたらすような仕事はしていませんが,それを作り出すもとの「人材」を育てるのが教育の仕事です。ほとんどの子どもが「勝手に育つ」環境に恵まれているならそんな大きなことは言わなくてもすむのでしょうが,決してそうではない以上,やはり「育てる」働きかけが重要になってくるでしょう。

 教師にとっての「飢え」とは,「飢餓状態にある目の前の子どもをどうにかしなければ」という使命感のことと理解します。
 人間力の向上という成果への「飢え」というのもあるかもしれません。

 子どもが何に飢えているかと言えば,それこそさまざまなものがあるでしょう。

 愛情,知識,成長の機会・・・・

 そういう気持ちでいる教師なら,「他人の悪口を言っている教師がいる職員室からは静かに離れていく・・・」なんていう「知恵」が大事なものなのかどうか,判断できるのでは?

08/6/18 問題から逃げることを勧める教師  山中伸之著「できる教師のすごい習慣」(学陽書房)をamazonで購入したのですが、またやられてしまいました。  教育書の不親切な点として、読者のターゲットが明示されていないこと、漠然とした題名をつけておきながら、実はテーマが絞られているということがあります。  著者ではなく、これは出版社側の責任でしょう。  買ってみて初めてわかったのですが、この本の帯には、「時間を生み出す仕事術」という明らかな「サブタイトル」があります。
ちょっとした工夫や努力で時間はつくれる、驚くほど作業がはかどる。誰でも実践できる、仕事が早く正確で学級経営の上手な「できる教師」になるためのアイディア66項目
とあります。  そして、ここが一番大切なことですが、この本は小学校の教師を対象にした本です。  「下校は速やかにさせよ」何ていう「すごい習慣」はその典型的なものです。  この本のタイトルである「できる教師」の意味が今一つ不明でしたが、若い教師が働いていくときの指針としては、初任者研修のつもりで読むことがお薦めできます。  いずれにせよ、「できる教師」は、「教育関係の本は必ず本屋で買う」という習慣をもっている必要があります。  さて、教師のコンピテンシーを研究している私としては、少々気になる「すごい習慣」があります。  それは、本の中で、「(職員室内で、教師による同僚や保護者への)悪口が出たら席をはずす」という「すすめ」です。  「そんな話に関わっていると、同じ考えだと思われたり、一緒に非難していたと思われてしまうこともあります。そんなふうに思われていいことは一つもありません」「その場を離れれば、自分の仕事もはかどる」  この著書の「問題解決法の問題」 は子どもにでもわかるでしょう。  私の場合は、その話の要点を記録にとり、文書にして非難していた教師に渡します。そうすれば二度と(少なくとも自分の前で聞こえるようには)非難の言葉は出なくなるでしょう。  子どもにもこんな話をしたことがあります。  隣の席のだれだれが、人の悪口ばかりを言っていてとても嫌な気持ちになる。どうにかしてほしい。  私のアドバイスは、「その悪口の記録をとっておいてください」というものでした。  以前にも書いたことですが、教師が飲んでタクシーに乗って、保護者の悪口を言っていたら、運転手も同じ自治体の学校に子どもを通わせている保護者で、とても嫌な気持ちになるとともに、学校への信頼を完全に失ったということがありました。  ブログでも教師や保護者、生徒への悪口、批判、非難が散見されますが、ただの不満の垂れ流しではなく、教育の質の向上を目指したい教師ならば、できれば対象の人間に自分自身がどういうはたらきかけをしたのかを示してほしいものです。  そういう話を聞き流す、垂れ流す教師にはいじめの発見や解決は困難でしょう。そういう教師の態度が同じような子どもを育てていることを「教育失敗学」では再三にわたって主張してきています。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第62問】 
 昭和12年(1937年)の話です。
 東京朝日新聞の飛行機がロンドンに到着。94時間17分56秒の世界記録を出しました。この飛行機の名前は?
 ① 神風号
 ② 日の丸号
 ③ ひかり号

*******************
ブログランキング 歴史

 【第61問の解答
 ①のうろこでした。合計58枚が盗まれたようです。

« 大胆なノート ふり返り366日【08/6/18-1】/名古屋城の金鯱 | トップページ | 藤田晋の成長学・教師編3 やりがいのある学校 »

教育」カテゴリの記事

昭和の家庭史」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92794/45855889

この記事へのトラックバック一覧です: 教師の「飢え」とは? ふり返り366日【08/6/18-2】/第62問:

« 大胆なノート ふり返り366日【08/6/18-1】/名古屋城の金鯱 | トップページ | 藤田晋の成長学・教師編3 やりがいのある学校 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より