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二重に不幸な子どもたち ふり返り366日【08/6/17-2】/昭和12年のブーム

 不安感というのが,成長のプラスになる人と,マイナスになる人に分かれてしまう決定的な背景は何でしょうか。

 それは,「恵まれない環境」で育ったかどうか・・・そんなところに落ち着くのかもしれません。

 「100%肯定の恵まれきった環境」で育った子どもは,「」がつくのを極端に嫌ったり,怖れたりします。
 
 ですから「完全肯定」「完全受容状態」でないと気がすみません。

 本当に気の毒なことです。こういう子どもを成長させるのはなかなか困難でしょう。

 もっと気の毒なことは,そういう生徒を親以上に?受容するのが信条だとカタル教師がいることです。

 子どもは浮かばれません。

 ごくまれに,恵まれない環境からスタートし,大きな目標を達成した後,「不安感」がなくなってしまうほど勘違いする人間も出てきます。
 「油断」が生じ,身を滅ぼすもとになります。

08/6/17 低レベルを許さないプロ意識  梅田望夫の世界観は、「基本的に、ものごとというのは、だいたいのことはうまくいかない」というものだそうです。  私も「だからこそ、うまくいくようにもっていくこと」が努力のしがいのあることであり、うまくいったときの達成感自己有用感がかけがえのない成長の原動力になっていると考えています。  「一個でも何かいいことがあったら大喜び」  「加点主義というか、一個でもいいことがあったら、そこをしゃぶりつくす」  「一つでもいいことがあれば、その人を肯定する」 ・・・梅田望夫のような考え方ができるのは少数派でしょうか。  このような世界観が生まれた背景を、彼は「根本的な安心感というものが、今までの成育歴のなかで少ないのかもしれない」と分析しています。

 愛情過多の環境で育った人間の場合の落とし穴は、何かの行為を否定されたときに見えてきます。

 たとえば、ある問題解決への提案は、その提案者の全人格ではありません。全く別のものなのに、中には提案の否定を人格の否定だと受け取ってしまう人がいる。

 「全人格を完全に肯定されていないと不満である・不安である症候群」。
 その解決には、「なぜあのとき否定されたのかが、後になって実感できる」チャンスをつくることが必要です。
 その実感は、よりよい提案による成功体験ができるかどうかが鍵です。
 否定せずにあえて失敗させ、そこから学ばせる「強気の待ち」ができるタイプではないので、子どもはそういうタイプの人ともつき合えると「人を育てる」難しさがわかるかもしれません。
 「えさをちらつかせてハッパをかける」ことの気楽さは誰でもよく理解できると思いますが、「自分の力でやり遂げた」という達成感を味わわせる教育は決して易しいものではありません。
 プロである教師は、低レベルを許さない人でありたいものです。

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昭和12年(1937年)のブーム・流行
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○訪問着にも,飛行機模様が登場するなど,軍国調のものが登場。
○迷彩色のタンク・鉄砲など,戦争おもちゃが人気。
○全国で,千人針・慰問袋作りが盛んに。
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より