「いい学校」「いい会社」の意味 ふり返り366日【08/6/14-2】/1婦○児主義
「学習」というものが生活の中にどう位置付いていくのか,「学習意欲」はその見通しがたった段階で高まるものではないでしょうか。
「いい学校に進学し」「いい会社に就職し」・・・という発想が本物の学習意欲を高めることにならないのは仕方がないとして,一方で,本物の「いい学校」は本物の「学習」とは何かを気付かせてくれるし,本物の「いい会社」は,非常に質が高い「学習」の習慣を身に付けさせてくれるかもしれない・・・それが,あながち「いい学校」「いい会社」に進むための準備的な「学習」の動機付けになり得ないとも言えない・・・・そういう気もします。
だいたい,「学習」の本当の意味は個性的なものかもしれませんし,それに気付くのはずっと後になってから,ということもあり得ます。
伊能忠敬などの例を引くまでもなく,「学習」への動機,達成への意欲は年齢を重ねてから芽生えたり成長したりすることもあるでしょう。
問題は,そのような「学習」への価値観について,まだ「学習」とは何かもわかっていないような子どものそれと,子どもがとる態度については,だれが責任を負うべきなのか,ということです。
「子どもの自己責任だ」と教師の側が言い切れば,それは「単なる責任逃れ」と受け止められるばかりでなく,まさにその通りの行動を容認するきっかけにもなってしまう。
では,「それは教師の側の責任だ」と言い切れば,子どもの教育に最も責任を負うべきなのは親だろう,という反論が待っている。
ということは,教師の側には,親が子どもの教育への責任を負いやすいような条件を整える,そういう役割が考えられるということになります。
そして,経済的に恵まれた家庭の子どもほどその条件が有利だということになれば,公立学校の使命は自然と導き出されることになります。
ただ問題は,公立学校がそれを最も実現しにくい条件を同時に抱えているということでしょう。
この問題を克服するためには,新しい「公立」らしさを追究するしかありません。
そういう「学習」が今,教育界には最も求められています。
まず手始めは,「右肩上がり」の時代ではなくなり,「給料が下がる」時代になったことを利用して,打てる手を迅速に打つべきでしょう。
08/6/14 プロの教師と生徒のプロで創る授業 その2 未来の学習の指定席 プロは、余裕を感じさせます。 急がず、慌てずに行える明確な指示。 間を効果的に使った発問。 生徒からの意外な質問への対応。 急な予定の変更への落ち着いた対応。 生徒が動き出すまでの「待ち」の姿勢。 教師の余裕は、生徒たちの余裕によってさらに広がりと深みが増します。 余裕のある生徒は、いつ、何を、どのくらいの時間で処理できるか、あらかじめ整理できます。だから取りかかりから慌てません。適度なペースを守ることができます。 余裕のある生徒は、ノートも余裕をもって取ります。 時間的なずれの余裕。後で書くべきこと、調べるべきことを忘れません。 ノートの空間的な余裕も持たせます。 ノートに書いたことは、その時間の学習内容のすべてかもしれませんが、その学習の内容のすべてではありません。何がそこからさらに学べるか、空白が想像力と創造力を保障してくれます。未来の学習の指定席がそこにあります。 余裕のある教師の下では、本当のゆとりの教育が行われます。 それがプロと教師と生徒のプロがつくる授業の基本です。
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昭和の家庭史トリビア?【第59問】
昭和11年(1936年)の話です。
ドイツのナチス党大会で,ヒトラーが「1婦○児主義」を強調したそうです。○にあてはまる子どもの数は?
① 5
② 6
③ 7
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【第58問の解答】
②の28歳(27.9歳)でした。妻は23.9歳。
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