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半世紀前と同じ議論 ふり返り366日【08/6/14-1】/昭和初期の結婚年齢

 今,終戦後すぐから昭和30年代はじめころの教育雑誌に目を通しているのですが,そこで議論されていることは,現在とほとんど変わらないか,今よりとことん議論されている,そんな印象をもちます。

 まだこの頃の方が,「どうしたら学力を向上させられるか」について非常に高い意欲をもって議論されていたことも分かります。・・・時代は下り,親の年収の影響が強い・・・なんて結果ばかりが記事になっているようでは,昔の苦労は何だったのか・・・という話になるのでしょう。

 昭和30年頃のもう一つの特徴は,「民主主義」社会に移行したばかりの勢いがあったからでしょうか,教科書や教育界に対する「保護者」の要望,「世論」が非常に大きな力をもっていました

 初期社会科の改訂はまさにその「世論」に完全に背中を押された形で,経験主義から系統主義へ,大きく舵がきられました。

 そこにこめられたメッセージは,「意欲を高めたり自ら学ぼうとする力を伸ばしてくれたりするのはけっこうだが,最低限と思われる知識量や理解力は保障してくれ」というものでした。(今と同じです。)

 ということはつまり,何を理解すればいいのか,こういうテストが出されたら,どのくらいの点数が取れればいいのかが客観的に明らかになるような教育を,そういう願いだったわけです。

 今,それを実現できるのは塾や予備校などの教育産業であり,公教育は本来,数値化が困難な「関心・意欲・態度」の観点までA・B・Cで評価し,それが信頼できないためにますますペーパーテストの「能力判定機能」に期待が寄せられています。

 では,公立学校(現行の学習指導要領)が目指しているのは間違っていることなのかというと,そうとも言い切れず,塾や予備校で高めている能力は,将来の労働市場ではその需要がなくなろうとしている人材のための能力であることも指摘されています。

 経験主義と系統主義の綱引きは,まだまだ続きそうですが,社会の様相が激変しない限り大きな方向へは動かないのが日本の特徴なので,半世紀前の議論は終わることがないのでしょう。

08/6/14 学ぶ意欲の格差が問題なのは子どもだけか?  齋藤孝著「なぜ日本人は学ばなくなったのか」(講談社現代新書)に対する私のamazonへのレビューに、今のところ、17人中13人の方が「参考になった」としています。  レビューの内容は、「強制がないから」という「落ちない落ち」であることを批判したものでした。  以前に「教育力」(岩波新書)の中での多くの部分を日記で引用し、教師のコンピテンシーを考えさせてもらいました。  「なぜ日本人は~」については、こちらが先で「教育力」が後に出たのならわかるのですが、「教育力」が出版されてから「なぜ日本人は~」が書かれたとすると、「教育学者」ならわかるものの「教育者」としてのスタンスは現場から離れてしまったのかなあというのが率直な印象です。  学ばない子どもたち、学べない子どもたちに対して、現場はどのようにしたら教育という機能が有効にはたらくのかについて知恵をしぼっているわけですが、そこへのアドバイスが、子どもたちの「あこがれ」を誘発する「あこがれの矢」となってほしい、では、『日本人の「学びの情熱曲線」が下向きから上向きに転じる転機の一助』に本書がなるのは難しいでしょう。  ぜひ、「なぜ子どもたちに学ぶ喜びをもたせられない教師が多いのか」を究明し、では教師の教育はどうあるべきか、という方向での著作を期待したいと思います。  「学ぶ意欲の格差」は、子どもにあることは確かですが、もしかしたら教師集団の方が大きいかもしれません。  教師には、いくらでも言い訳ができますが、よくよく考えてみたら、それらは子どもの言い訳の質とほとんど変わらないものでしょう。

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昭和の家庭史トリビア?【第58問】 
 昭和11年(1936年)の話です。
 この年の,初婚の平均婚姻年齢は夫で何歳でしょうか。
 ① 25歳
 ② 28歳
 ③ 31歳

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 【第57問の解答
 ①のレストラン「横綱」でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より