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「良い授業」実践の法則? ふり返り366日【08/6/13-1】

 「良い授業」の本当のイメージは,「良い授業」を受けない限り分からない・・・それは私の思い込みかもしれませんが,確かな実感です。

 大学生になって,授業論などを研究し,授業参観をし,分析をして「これが良い授業の要素だ」と理解できたとしても,そして,仮にそれが機械的に表現可能なものだとしても・・・・「良い授業」というのはなかなかできないでしょう。

 「良い授業」を本当に理解するのは,大学生になってからでは遅いのです。

 自分が生徒の頃に受けた授業が,「良い授業」であり,それに自分ならどこまで近づけるか,という実感が湧くかどうかで,「良い授業」が実践できるかどうかが決まる・・・。

 というのがもし正しいと,いろいろと困ったことが起こりそうです。

08/6/13 プロの教師と生徒のプロで創る授業 その1  プロは、見事なスタイルをもっています。

 授業の導入・展開・まとめのコツ。

 板書のポイント。

 発問のタイミング

 トピックの効果的な活用。

 快適なテンポ(リズム)。

 ターゲットを明確にした指導と教材の精選・・・。

 教師のスタイルは、生徒の学びのスタイルにも影響を与えていきます。

 生徒のプロとアマチュアの違いは、授業に臨む姿勢で決まります。

 能動的か、受動的か。

 前時の復習は、ノートをさっと眺めて済ませる。

 授業の展開部では、今日のテーマを見切ります。

 教師がつけたタイトルよりも適切なものはないか、探します。

 今日の授業のポイントを、一言で表現することができます。

 授業の終了間際には、今日は何が新しく身に付いたのか、あとで何に取り組めばその授業の力が伸びるか、わからなかったことは何か、質問すべきことは何か、などを整理します。
 板書と説明が同時の場合は、説明を聞いて理解することを優先します。
 発問には、他の生徒が答えても、自分なりの答えを想定します。
 自分ならどの話題と組み合わせて説明できるか考えます。
 このような学習のスタイルで、自分の力を磨いていく。それがプロと教師と生徒のプロがつくる授業の基本です。
 生徒のプロは、アマチュアの教師=教育実習生を育てます。

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教育」カテゴリの記事

コメント

国語教育が登場したときには,正岡子規の気持ちがよく分かるほど,教える方も教わる方もつらかったようですね。
もし情報科が教科の「国語」成立時のようなものであったとしたら,早めに廃止にした方がよさそうですね。
総合が導入されたときのように,力のある教師にとってはさらに力がつくような研究・実践ができる,そんな教科であるとも考えられますが・・・。

コメント、ありがとうございます。

数学や国語といった教科の授業の安定性は、教職課程や層の厚さ、歴史の長さが担保しています。そこに他教科で良い授業を受けた経験は活用しやすいでしょう。

情報科は授業の安定性も確保できていません。新しい教科には、アナロジーが通用しない場合があります。

愚痴をこぼしても始まらないので、ゆっくりじっくり取り組むことにしています。

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【授業の成熟度:キビシー!】 この指摘が正しかったら、情報科は厳しいよね。 「良 [続きを読む]

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より