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集中力と学習の満足度 ふり返り366日【08/6/13-2】/ジンギスカン鍋

 ゲームに熱中しているときの「集中力」と,たとえばバッターボックスで投球を待っているとき,周囲の音が聞こえなくなるほどの「集中力」とは,心理学的には,あるいは脳生理学的には,同じなのでしょうか,違うのでしょうか。

 人間は,集中力が高まったときにある特定の成功体験をすると,より「満足度」「快感度」が増すのではないかと考えられます。
 
 気が散った中での成功というのが何を想定しているのかよく分からない・・・たとえば,競馬で当てたとき,買った馬が1着になった瞬間だけテレビやラジオから離れてしまっていたというのは?・・・のですが,逆に,集中しているのに失敗すると・・・・たとえば,UFOキャッチャーで引っかかったのに途中で落ちてしまったときなど?・・・・それだけショックが大きくなるものでしょうか?

 バッティングで,普通の球を打ち損なったとき,いい形で打てたときの記憶は残るのですが,絶好球を打ち損なったとき,「本当に完璧な形」で打てた(と後で思えるような)ときは「どう打ったか全く覚えていない」ということがあります。

 話は飛びますが,その当たりの連想から,学校の授業,あるいはテストで本当の満足感,充実感を持たせるのに,その生徒の最大限の能力を発揮して常に正解が出せる,満点が取れるような材料を提供するような仕組みが考え出せると,「最も効率のよい学習・学力を伸ばす学習」が実現できるかもしれません。

 導入の段階で,壁にぶつかって問題が解けなかったり,分からない・・・という不安状況が学習意欲を高める効果もありますが,まとめの段階では,基本的には「解決可能」な課題をもとにした授業・テストの構成が必要なのではないでしょうか。

 ただ,学校教育の授業等の研究では,「学級集団」を基本としたもので,「個別学習」の実践研究は進んでいません(おそらく塾の方が「進んでいる」のでしょう)。

 完全習得学習は,新しい学習指導要領が理念としては求めているものですが,その実践や実現にはまだほど遠い状況にあるのが公立学校です(そこが最も求められる場所なのですが)。

08/6/13 居心地のよい仮想空間  ゲームに熱中する子どもの脳には、麻薬を打ったときと同じ物質が分泌されているというのは真説かどうか知りませんが、携帯をもつ人たちにも同じような現象がおこっているのでしょうか。  電車内では、とても集中してメールやゲームに没頭している人が大勢います。  昔、「マン・ウォッチング」という本を読んでから、電車内の人間の生態観察を欠かさずに20年以上経っていますが、ときどき、これは「初めて見た!」という人に出くわします。  今日は、エナメルバッグを肩にさげた40歳後半から50歳代くらいの男性が、格闘系のゲームに熱中している場面に地下鉄の車内で出会いました。何だか同業者っぽいオーラを感じる人でした。  格闘系なので、非常にさかんにボタンを押していくため、けっこう大きな音がします。  体も左右に動くときがあります。  いくら何でも、それに熱中している様子を大勢に見られていても平気でいられるほど、ゲームというのは人間を支配してしまうものでしょうか。  そのうち、画面が大きい高齢者用の携帯ゲーム機も登場するのでしょうか。  「脳トレ」ブームは終わったのかどうか、わかりませんが、仮想空間の方が居心地のよい社会というのは悲しいものです。

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昭和の家庭史トリビア?【第57問】 
 昭和11年(1936年)の話です。
 札幌にジンギスカン鍋の元祖となる店がオープンしました。そのレストランの名は?
 ① 横綱
 ② 関取
 ③ 大相撲

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 【第56問の解答
 正解は①でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より