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「褒める指導」のネックとなる「減退する自尊感情」 ふり返り366日【08/6/11-2】/プロ野球初専用球場の課題

 もし生徒に「自ら伸びる力」が備わっているのであれば,教師は「伸ばす」きっかけを与えればよい,という話になります。

 そしてほとんどの教師は,「褒めることで人は伸びる」という,よく言われることにすぐに同意し,実行にうつそうとしますが,中学校の場合(そして小学校の学級でもおそらくは),そもそも生徒一人一人を「褒める」タイミングというのは,そうは存在しません。

 「褒める」ためにはその理由に当たる行為態度姿勢を示すという「きっかけ」が必要なのですが,意識的にその「」をつくらない限り,「わざとらしさ」だけが目立ったり,「褒めるために褒めている」ことがばれてしまったりという最悪の結果になります。

 教師に備わっているここでのマイナス要因は,自分自身が気に入られたいという欲求,衝動,自分が仕事しているぞ,という自己顕示欲が強いせいか,「褒める」主体になりたがるという傾向があることです。

 子どもから,「褒めてほしい人」と認定されるほど価値を置かれている教師ならよいのですが,そうでない場合,「褒める」行為が逆に子どもの成長の足を引っ張る恐れすらあるわけです。
 荒れた学校に勤務した経験のおかげで,その当たりの微妙な空気がよくわかりました。

 小学生なら,「教師に褒められたい一心で教師の目の前で褒められるような行動をし,近寄ってきて『早く褒めて!』と言わんばかりの態度」を示す子どもが一目瞭然なのですが,中学生になると,全く変わってきます。

 最も大きな課題は,年齢が進むに従って減退していく自尊感情のレベルが,「褒める指導」のネックになっていくということです。

 褒めるよりも先に教師が心がけるべきは,「自分で自分を褒めてあげたくなるような自尊感情」を子どもに持たせることであり,それはさまざまな活動を通しての成功体験を持たせる,ということに他なりません。

 教師にとって最も大切なのは,根拠のある自尊感情を子どもに持たせることです。

 それが子どもに備わっていれば,「褒める指導」は一般的な効果が期待できるでしょう。

08/6/11 荒れた学校を建て直すときの原則  指導主事を経験すると、人から嫌われることに慣れていきます。  現場の教師たちからの露骨な敵視を浴びることが多くなるからです。  現場の教師たちへの不満を全く面識のない保護者や地域の方から電話で伺うこともありますが、話されている方の攻撃性は明らかに教育委員会にも向けられています。  「なぜあんなのが教師をしていられるのか」「給料泥棒だろう」「おまえは役所に座って何をしてるんだ!しっかり学校へ行って指導しろ!」「早くあの教師をクビにしろ!」  こういう言葉を何ごともなかったかのように聞き流すことができるのも行政マンとしての大切な資質で、「敵」扱いされることを何とも思わない能力は、当然、教師の立場でも役に立ちます。  生徒にとっては耳の痛い正論を堂々とぶつけることができるからです。  しかし、現場には、明らかに「子どもから嫌われたくない」「親にも気に入られていたい」という教師がいます。  うまくバランスが保てている学校は問題がないのですが、後者のタイプの教師(生徒にとって非常に都合がいい教師)が多い学校では、さまざまな指導が後手後手にまわり、問題行動もよく発生します。  生徒から嫌われることをいとわない教師は、問題行動を繰り返す生徒からは嫌われるかもしれませんが、そうでない生徒からは信頼されます。  一方、問題行動を繰り返す生徒にとって都合がいい教師は、多くの生徒から信頼されません。  私の経験則では、荒れた学校を建て直すとき、まず信頼を獲得するターゲットは、学校生活に対して前向きな生徒と、後ろ向きの生徒に引っ張られながらも何とか普通が保てている生徒に絞るべきです。  この指導法が、一部の有名人の教師とは全く異なっている点かもしれません。  荒れている学校では、問題行動を繰り返す生徒ばかりに教員の関心や実際の指導の力が集中して、そうでない生徒は置いてきぼりになっていることが多い。  「私はこんなにあなたに対する教育愛をもっているのだから、その期待に応えて下さい」という文字を絵に描いたような行動をする教師がいますが、もっと他にするべきことがあるでしょう。  学校の建て直しを図るには、生徒自身の力を借り、その力によって新しい集団のマナーやルールが守られるようにすることが大切で、教師は決してヒーローになってはいけません(そこまで強く言う必要はないかもしれませんが、テレビドラマがひどい誤解を招いているのであえてそう言います)。  生徒が立ち直るとき、本当に納得するきっかけは、そこにあるのだと思います。  嫌われてしまいそうな言葉を、あえて投げかけている教師の本心に気付くのは、その後で十分です。

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昭和の家庭史トリビア?【第56問】 
 昭和11年(1936年)の話です。
 プロ野球初の専用球場として,東京・洲崎球場が完成しましたが,ある問題を抱えていました。その問題とは?
 ① 東京湾が満潮になると海水が浸入してゲーム続行が不可能となる。
 ② たびたび停電が起こり,プレーの中断時間が長いため,試合時間が延びる。
 ③ 客席がほとんどないため,採算が合わない。

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 【第55問の解答
 ①の立教大学でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より