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1を聞いて10の曲解をする人たちと「いじめ」の構造

 競争原理に反対,という人の中には,さまざまなタイプの人がいるでしょう。

 競争に関する記事を書くと,「競争でしか教育を語れない」などという的外れな疑問を抱いてしまう人。

 世の中には,あえてそこに触れないように気をつけながら・・・それは,「全体主義的」な人間たちからの批判を避けようとするためですが・・・教育を語ろうとする「清純派」がいるかもしれませんが・・・・。

 そういうタイプの人は,結局,自分(の仕事)に幻滅して仕事が手に付かなくなることもあるのでしょう。

 日本人には,1から10を決めてしまうタイプの人が多く,それが原因で気が付かないうちに「全体主義的」な行動を起こし出してしまうのです。
 いじめが集団化してその被害が深刻になる原因の一つがこれでもあります。

 ある主張を耳にするだけで,一足飛びにその指導の成果にまで思考がトリップ(スリップ?)してしまう人。

 過去に出会った人間と似た主張をする人をつかまえて,全く同じだと誤解してしまう人。

 困った人たちです。

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昭和の家庭史トリビア?【第2問】 
 昭和元年(1926年)の話です。
 郵便貯金をしている人の数が世界一になりました。日本人一人当たりの預金高は,アメリカの645円に対し,いくらだったでしょうか?
 ① 36円
 ② 63円
 ③ 365円
 
 なお,当時の東京の物価は,天丼が60銭,散髪代が47~50銭でした。
 また,「ハリウッドから日本女優を探しに来る」という記事もあります。月給は何と5000円。
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 【第1問の解答
 ③ 禁酒村 でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より