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市民意識の欠如のモデルは公立学校にある?

 毎日jpに「勝間和代のクロストーク ~みんなの経済会議~」というコーナーがあり,6月には「公立学校に地域コミュニティー委員会設置を」というテーマで様々なコメントが寄せられていました。

 教育委員会の職員,PTA関係者はもちろん,公立学校の教師たちにもぜひとも読んでもらいたいコメントばかりです。

 129のコメントの多くは豊かな経験に裏付けられたものが多く,圧倒されるボリュームです。

 投票の結果は,

 賛成18.4%
 だいたい賛成26.3%
 どちらかといえば反対23.7%
 反対31.6%

ということでした。

 ベストアンサーに選ばれた方が問題にしていた「日本は官主導が多すぎる」こと,かといって自分たちで問題を解決しようと動くかというと,そうでもないこと,「日本人の宗教観,国家観とも密接に関係している」が,「日本人には自らを社会の一員だとする意識」はあっても,「社会は自ら創造するものであり、自ら支えていかねばならないという市民意識がとても希薄」であることは,確かなことです。

 そういう日本人の問題点を改善しようとして,改正したのが教育基本法学校教育法であるわけです(やはり官主導?)。

 新しい学習指導要領が出されましたが,文科省には「教える例を教えて」という問い合わせが多いようです。

 こういう教師たちの姿勢が問題であることは言うまでもないのですが,教師も公務員の側であることを考えると,公務員サイドでもっと情報の共有化や原則の理解を深めてもよいのではないかと,普通の人なら思うでしょう。

 確かにそうですが,「学校社会を自ら創造する」「学校は学校の教師が中心になって支える」「地域の学校として人々の信頼を得られるような教育空間とする」などという強い意思が見られることが,結果が出る条件なのに,何でも「教えてもらおう」という態度で「上」を見てしまう・・・・。

 今,官の方は「ばらまき」をやめ,「やる気とアイデアがある個人や団体」を支援するという大きな方向性を築いています。これを「差別的」と批判する人もいるようですが,差別化しないと結果としてはバラマキになってしまい,すぐに財源はなくなります。

 「金をくれ」「人をくれ」「アイデアをくれ」といっている連中に,教育の創造は果たせないでしょう。地方の自立などとは程遠い,日本社会の現状の縮図が学校社会にあるのかもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第6問】 
 昭和2年(1927年)の話です。この年は,年末ですが日本発の地下鉄が開通しました(上野・浅草間)。また,大正天皇崩御で,元日に配達される年賀状の数が激減しました。(前年の3595万2246通から282万638通へ)
 さて,問題です。この年に流行した,フミナイン・玄華・ペトロールハーン液といえば,何の薬?
 ① 水虫薬
 ② 下痢止め
 ③ 毛生え薬

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 【第5問の解答
 ① 銀座・松屋からだそうです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より