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攻撃による自分の問題のカモフラージュ

 競争では必ずしも常に「敗者」が生まれるわけでもなく,常に「弱者」が不利になるわけでもありません。

 たとえばただ金銭的な面だけを尺度にするなら,共産主義にならなければ「多い少ない」「多い少ないを気にする」ことは避けられません。しかし,質的な面で,全体として向上していくことが,競争のメリットです。

 「弱者にやさしい」という「売り」で競われれば,「弱者」にとっては有利になります。

 教育ではあまり弱者だの負け組だのいう言葉を使うことはありませんが,基本的にWin-Loseの関係ではなく,Win-Winの関係になることを目指しています。

 競争=悪という原理・原則絶対主義論者にとってみれば,白でなければ黒しかないわけで,そういう思考の視野狭窄状態では,弱者の本当の救済はかなえられることはないでしょう。

 公立学校の教育課程の基本は,「能力の高い生徒のみに力を付けさせる」わけではなく,全員に一定水準の能力を付けさせることにあり,これは「弱者」がどうのこうの言いたい人にとってみれば,「弱者」を出さない,あるいは「弱者」に手厚い教育が行われる,そういう原則であることの根拠に使えるわけです。それが特色だと言っている学校がその約束を果たしていないのならば,いくらでも学校に改善を要望をすることができるのです。

 それがなぜか,組合活動をしている教師との親和性が絶対視されてしまうと,たとえば「役所が労働者をいじめている」という思考パターンで,攻撃の矛先を見当違いの方向にもっていってしまうことが起きているのです。

 「現場主義」というお題目で活動している人間たちが,一番「現場主義」になっていない。

 「自分主義」になってしまっている。

 憲法でも,自分の都合のよい条文ばかりを信奉して,「人々のため」に公務員が果たさなければいけないこと(そもそも憲法はだれが何のために制定しているのかがわかっておらず)の優先順位を下げてしまう。

 そういう主義では教育に希望が見えるようになるわけがありません。

 「自分だけの身を守るため」に批判を他人に投げかけるのではなく,「自分たち自身を厳しく律しようとする」態度が「現場」から見えてこない限り,教育への信頼は戻ってこないでしょう。

 攻撃を受けたくない人が最も攻撃をしかけたくてうずうずしている,そして攻撃を続けることで自分たちの問題をカモフラージュする,そういうことが続いています。
 政治家も同じようですが。

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昭和の家庭史トリビア?【第3問】 
 昭和元年(1926年)の話です。
 東京のあるデパートが,ある動物を1匹5銭で買い上げるという新聞広告を出しました。ある動物とは?
 ① ネズミ
 ② ネコ
 ③ イヌ
 
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 【第2問の解答
 ① 36円 でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より