ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 打率は下がるが安打数は減らない ふり返り366日【08/5/21】 | トップページ | 1を聞いて10の曲解をする人たちと「いじめ」の構造 »

「適法」と「適正」の間 (昭和の家庭史トリビア?問題スタート)

 今日は,校内で別の教科の会合が終わった後,少し気になる会話を耳にしてしまいました。

 雑談は教員免許状更新に関してのことで,

 「うち(私立)では更新しない人もたくさん出てくるだろう・・・

という一言。

 まさか,もともと教員免許をもっていない人を雇っているということはないでしょうが,あるいは「ペーパードライバー」よりもはるかにあてにならない「ペーパー教員」よりも,無免許でも力がある人の方を雇うということが今後あるのでしょうか・・・?

 「適法」でない方が「適正」である・・・そんなことにならないといいですね。

 「この程度で更新できるのなら,する必要はないのでは?」

という声が(あるいは講習の実施者の側から)聞かれ出すかもしれませんが,制度として決まったばかりのことが簡単に「なしにしよう」ということにはならず・・・。

 新聞の取材もぼちぼち始まっているようですが,どのような記事が紹介されるでしょうか・・・?

*******************

 ところで,歴史の学習の中で,教科書だけの世界から離れて,肌で感じられる社会像を描こうとする活動として,題材を「昭和・平成家庭史年表」(河出書房新社)から選び,3択問題を生徒につくってもらっています。
 年表では「衣・食・住」「家計・健康・教育」「文化・レジャー」「社会・交通・一般」というジャンルに分かれていますが,ここではそれにこだわらず,その「トリビア度」を評価していただこうかと思います。
 解答は一つ後の記事の最後でご紹介します。

第1問】 昭和元年(1926年)の話です。
 石川県の河合谷村で,我が国初となる「○○村」宣言が出されました。
 どんな村になったのでしょうか?
 ① 禁煙村
 ② 禁ばくち村
 ③ 禁酒村
 
 なお,後にこれによって蓄えられたお金で,村に小学校が建設されたそうです。(昭和6年)

« 打率は下がるが安打数は減らない ふり返り366日【08/5/21】 | トップページ | 1を聞いて10の曲解をする人たちと「いじめ」の構造 »

教育」カテゴリの記事

昭和の家庭史」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 打率は下がるが安打数は減らない ふり返り366日【08/5/21】 | トップページ | 1を聞いて10の曲解をする人たちと「いじめ」の構造 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より