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「学校ケイタイ」のある学校生活 ふり返り366日【08/6/4-1】/昭和10年の平均寿命は?

[携帯電話] ブログ村キーワード

 駅前に何件もの携帯ショップがあるのはまだ不思議感があります。
 さらに,駅からやや離れたところにも広いショップがあって,休日でなくてもけっこう多くの客が,しかも子どもから高齢者までが入っている光景というのは,十年前には考えられないことでした。

 ケイタイが本物の景気対策=「景対」(auの宣伝コピーでしたか?)になっているかどうかわかりませんが,通信機能があり,さまざまな情報がどこでも手に入り,さらにどこへでも送ることができるツールは,便利なものであることは確かです。

 音楽も聴ける,語学の勉強もできる,マンガも読める,ゲームもできる,ニュースがわかる,TVが見られる,写真が撮れる,買い物の支払いはできる,電車に乗れる・・・

 すべてが手のひらに乗る道具で可能になることが,想像はできたかもしれませんがこれほどまでに普及するとは・・・?

 しかも,個の空間がかなり保障される状態で熱中できる・・・。

 ケイタイは,対人コミュニケーション能力の低下を招く・・・という危惧をもっている人も多いようですが,私はスイカで支払いをするようになってから,レジの方に直接話しかけられる機会ができてよかったように感じています。
 (お金をおさめたりお釣りを出したりする手間が省けて若干うれしそうな感じも伝わってきて・・・)

 このようなツールの教育利用については,「所持禁止」という方針が出されているくらいですから,まだまだ前途は多難なようですが,「学校ケイタイ」の普及が,将来的には実現可能になってくるように思います。

************************

 学校ケイタイのある1日の生活を,想像してみましょう。

 学校ケイタイは,下駄箱の各自のスペースに鍵つきの保管箱(充電可能)があり,登校時に取り出すところからスタートです。電源が入った時間が,登校時間として記録されます。

 登校時間は8時20分です。

 ただし,8時00分から学校ケイタイで朝読書が可能です。読んだページ数などが毎日記録されます。 

 遅刻生徒の氏名は職員室のパソコン画面に表示されます。
 
 8時25分には,日直生徒のケータイに朝の連絡がメールで配信され,それをクラスで読み上げます。

 担任は連絡のない欠席者(遅刻者)の家庭に電話を入れます。

 朝,担任が学級に行く必要がないので,8時30分から1時間目の授業が始まります。

 学校ケイタイは,普通の携帯電話よりやや画面が大きく設計されており,授業によっては写真資料,映像資料を配信して見させることもあります。
 英語の授業では,CDを聴く代わりに,ケイタイに記憶されたデータを再生したり,自分の読みを録音して送信したりします。
 美術や技術・家庭では制作途中の作品や完成品を写真にとり,送信します。自分のケイタイのデータベースにも登録します。
 体育では,友達に自分のフォームなどを録画してもらい,データベース化します。教室でそれを見て,分析したり反省したりもします。

 給食時には,食事の内容の説明を準備中に聴くことができます生産者調理をしてくださった方,栄養士さんなどからのお話が流れる場合もあります。

 昼休みには,登録されている音楽のうち,好きなものを自由に聴くことができます。

 「電話機能」は緊急の場合に特定の場所にしかかからないことになっているので,友達と話がしたい生徒は,直接会って会話します。

 生徒会活動についての連絡・・・委員会活動のPR,行事のお知らせなどは,1時頃から送信されます。

 午後の授業のスタートは1時10分です。

 ケータイは,択一式や語句を答える形式の単純な小テストでも使います。
 教師の側も,採点を一瞬にしてコンピュータがやってくれてラクです。
 子どもも,得点がすぐにわかります復習のための宿題が送信されてくる生徒もいます。

 掃除の前,帰りの会では,一日の生活をふり返ってのアンケート調査を実施し,一言日記をつくって送信します。

 基本的には,部活動に参加する前には下駄箱の保管箱に返します。
 データは定期的にバックアップされます。

 *****以上が,普通の一日の学校ケイタイの使い方です。

08/6/4 ケータイ・自力救済か絶対他力か

 風鈴さん、コメントありがとうございました。
 武器・武力の「武」の文字をご覧いただくと、「止」が入っています。
 「七徳の武」の話をひくまでもなく、武器というのは戦争をやめさせる道具でもあります
 被害にあっている友達をかばう、不当な攻撃を加えた人間に注意する、制裁を加える・・・携帯は、そのための武具・武器にもなるはずです。
 中世の時代には、自力救済という原則とともに、集団内での排除機能が強力に働いていました(自検断・地下検断)
 しかし、現代ではこれを「いじめ」と捉えられる可能性もあり、集団内の排除機能はうまくはたらきません。
 今、いじめが排除できないのは、いじめを完全に排除しようとしているためだという考え方もあります。
 排除機能がはたらかない以上、規制はやむを得ないのかもしれません。
 フィルタリング機能があっても、友達同士のメールなどのレベルでは防ぎようがありません。
 中学生(小6と高1くらいは含まれるかもしれませんが)は、高校生と違って、行動が非常にエスカレートしやすい。のめり込みやすい、歯止めがきかない、そんな時期ですので、人間を「守る」ための規制という趣旨は理解できます。
 ただ、武器を取り上げられるということは、攻撃の側にまわることを阻止する、つまりその子どもが信用されていないことも示すことになるわけですから、わがままな子だけでなく、高い自覚をもって正しい使い方をしている子どもにとっては不満でしょう。
 刀を取り上げても、家のパソコンという大砲もあるし、そのうち戦車なんかが開発されるかもしれませんね。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第43問】 
 昭和10年(1935年)の話です。
 この年の男性の平均寿命は何歳だったでしょうか。
 ① 44.8歳
 ② 54.8歳
 ③ 64.8歳

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 【第42問の解答
 ③のビリヤード場で,1786軒。2位はマージャン屋で1249軒でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
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  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
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  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より