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言霊信仰が教育の質の向上を妨げている? ふり返り366日【08/6/2-1】/日本初の国際電話

 教育関係者がその主張や実践を「広く受け入れられている」という感覚を持ち始めたとき,それは非常に危険な状態であるという自覚が大切であるという主張を,何度かしてきました。

 そこに危険な思い込みがたくさん潜んでいることに,気付きにくくなるからです。

 教師が書くタイプの雑誌や論文集などを読んでも,基本的に当たり前のことしか出てこないし,やろうと思えばやれることしか書かれていない。本当はだれもができなくてはいけないのに,それができないのはなぜか・・・ということに答えるものがない・・・。

 「閉じた世界」で繰り広げられているちまちまとした動きを,「開かれた世界」でよりダイナミックに変えていくためには,相当のパワーと「打たれ強さ」が必要ですが,齋藤孝ほどのバイタリティをもっている人間でも,「批判や非難は嫌い」と公言してしまうところが,日本の教育の弱さそのものであるように思います。それでいて,「折れない心の作り方」(文藝春秋)という本を出してしまうあたりがまたおもしろいところですが・・・。
 「言霊信仰」という日本独特の文化がその背景にあると言えるのかもしれませんが。

 「言霊信仰」には,ある特定の言葉(「子ども第一主義」とか,「愛情・受容」,「自ら伸びる力」とか・・・)が使われていれば,何となくよい教育が行われていると信じ込まされてしまうという利点(ある意味では最大の欠点)があります。

 短期的・中期的な成果が,外部の人間,直接的に実践にかかわっていない人間には見えにくいのが教育の特徴でもあります。

 イチローの「打率」志向ではなく「ヒット」志向は,出版会で言えば,「好感度」「実質支持率」志向ではなく「発行部数」(「販売数」)志向であるということになります。(増えたり減ったりはせず,増えるだけの数字を見ること)

 結果として,発行部数が増えることで,支持率も上がっているといいのですが,結果として,成果があがるかどうか,何かが向上するかどうかが書き手のこだわりであるはずでしょう。

 ただ,それが測定しにくいのが教育で,それだけに,誤解や思い込みに基づく努力があり得るかもしれないのですが,できるだけ多くの評価や自己反省や外部からの批判などを総合的にふまえながら,そして,ここが最も重要なポイントですが,子どもの実態をふまえながら,実践に全力を投入していかなえればならない,苦労のしがい,やりがいがある仕事が教育です。

08/6/2 齋藤孝さんの教師としての特質(増補版)

 齋藤孝・梅田望夫「私塾のすすめ」(ちくま新書)には、齋藤孝の教師としての特質が非常によく表れているところがあります。
 以下は、Amazonのブックレビューに書き込んだ内容です。
 

「僕自身が、教育に燃えているわりには、教育界に与える影響力は小さい気がしている」 と言う齋藤孝に対して、梅田望夫は「斎藤さんの情熱とポテンシャルに対して、世の中の需要は、まだ100対1くらいなのでは」と答えています。
 二人の考えは、ある意味では根本的に異なっています。
 齋藤孝がネットに関心をもたず、ブログに手を出さない理由がおもしろい。
 教師らしい齋藤孝の性格がよく読み取れる部分です。
 梅田望夫が「基本的には同じ」という言い方で幾度もフォローしているのですが、「みんながそうでなければいけない」系の強引な指導をモットーとする齋藤氏のことは、かなりうざったく感じながら対談に応じていたのではないかと思われる箇所が、いくつか出てきました。
 閉じた空間(研究室内部という意味ではなく、教育という世界)で研究をしている齋藤氏と、開かれた空間、オープンソースで仕事をしている梅田氏の違いが明確に表れています。

 齋藤孝は、ブログをやらない理由として、「打つのはものすごく強いんですが、打たれるのは嫌いです」「授業の感想でも、二百人教えて、一人でもネガティブなことを書くと、それが気になってしまう」「こちらを安く値踏みしてちょっかい出してくる人に対して、攻撃をし返してしまいかねない」「・・・自分にふりかかってくると、火の粉をふりはらうだけでなくて、つい火元に行って、思いっきり水をぶっかけてしまいかねない」などの理由をあげており、梅田氏もとうとう「斎藤さんは、ブログをやらないほうがいいかも」と結論づけています。
 齋藤孝のような教師はたくさんいそうですよね。自分もそうだし、ブログで自己主張をしている方もみんなそれに近い(齋藤孝ほどではないにしろ)。
 なお、私は齋藤孝の(生徒から見ての)ウザイ系教師キャラが嫌いなわけではなく、そういう教師が滅び去ってきている危機感をもっている一人なので、今後も教育活動、執筆活動を応援したいと思っています。
 「人生を通して、情熱をもって教育に取り組み、専門家としての力を磨いてきた。休みなくやってきている。しかし、ここまで発言して、本を出して、提言し続けても、公教育に正面からかかわるようなポジションに、僕はいないわけですよね。」
 「本気で変える意志というのをもっていない、もやーっとした感じを感じますね、日本に対して。教育の世界では、達成が問われにくく、朦朧としているという感じがある。僕は日本の教育のことが本当に毎日心配で仕方がない。しかし力を出す場所が足りない。」

 という齋藤孝には、文科大臣になるよりもまず「学者校長」になって実績を出してほしいですが、・・・いきなり学習指導要領を無視しそうなので難しいですね。本のタイトルも「私塾のすすめ」ですし・・・。
 何よりもまずは、ブログを立ち上げていただいて、オープンな世界に入ってほしいものです。

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昭和の家庭史トリビア?【第40問】 
 昭和9年(1934年)の話です。
 この年,東京とある都市との間に無線電話が開通しました。初の国際電話となったわけですが,相手の都市とはどこだったのでしょうか。
 ① ペキン 
 ② ワシントン
 ③ マニラ

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 【第39問の解答
 当然?,①のリンゴです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より