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前提を見誤った制度 ふり返り366日【08/6/1-2】/「大名家」は生き続ける

 学校評価にはほとんど関心を示さず,人事考課制度については過剰なほどの反応をし,観点別学習状況評価については,おとなしく従って多大な労力を費やしている,このギャップの原因はどこにあるかと言えば,簡単な話で,人事考課だけは自分に直接的にかかわってくる評価だからでしょう。
 
 マクロに見れば効果が高そうな制度でも,個々の人間が自分の利害に執着するミクロの世界ではよくない結果を招く,そういう話はどこにでも転がっています。前提を見誤った制度はうまく機能しません。

 教育の評価については,傍目から判断して「いい指導」を行えば必ず「いい成果」が得られるものではないため,評価そのものは空しい面がありますが,それを正面から受け止めることが,本当のいい意味での「いい指導」に前進するエネルギーになるわけです。

 よい方向に前進するためのエネルギーが得られるような「評価」は,本当は子ども自身が最も求めているものなのでしょう。

 だれに指導されるかによって,評価も大きくぶれるような教育を見直す契機が,入試や学力調査をまたなければならないといったところが悲しいものです。

08/6/1 評価の質の低さは指導力の質の低さと同じ

 学校評価の考え方についての批判をもとにコメントした文章がありますので、ここでも紹介させていただきます。
 内容の趣旨は、これまでに述べてきたものとほとんど変わりません。

 私も現場の一教員としての立場から申し上げさせていただくと、もし学校評価の項目に問題があると考えれば、当然のことながら検討してもらうでしょう。
 人手不足の教育委員会はそこまで手がまわらず、学校の自律性に任せている部分が大きいですが、外部評価が機能することによっても健全化は望めます。
 「学校評価の項目に関する学校間格差とPDCAサイクルの実態」などの研究プロジェクトを実行してもらえると、学校評価の質も高まるでしょう。
 「学校評価の質を高めることにより、学校教育の問題点を改善しやすくすること」は、教務主任レベルの職務目標にもなります。
 もし個人の評価を高めるため、学校全体の指導力の向上を果たさない教師がいれば、それは学校全体の目標に反しているという意味で、その教師の評価は低くなるでしょう。
 しかし、その教師が指導で高い成果が出ている部分については、出ていない教師より評価が高いのは当たり前のことです。
 個人名はあげませんが、「すごい授業」をすると有名なある先生が、学校全体の動きにほとんどかかわらず、講師に招かれるので出張ばかりしていた、ときには生徒も自習になるのでビデオばかり見せられていた時期がある、という例もあります。
 有名人はこのパターンが多い
 さて、こういうプロジェクトがあったとき、一部には「学校評価の質を高める」のが目的になってしまって、「より良い教育」という本来の目的の達成がおろそかになる、という主張をする人がいますが、これは、日本国憲法の原則にしたがってさえいれば何でもうまくいくと勘違いして、さまざまな法令のことに目が向かないというパターンと同じです。
 さらに、この法律や命令は憲法の趣旨に反していると(自分が)判断して、遵守しないような行動をとる人までいる。
 ある一つの目的を達成するには、個別に達成すべき具体的なことがたくさん設定できるので、それぞれについての達成目標が必要になるのです。
 「学力を向上させる」という目標もその一つですが、それを達成するにはさらに達成すべき課題がたくさんできる
 一つ一つの目標を達成することが、大きな目的を果たすことにつながるのであって、小さい目標を果たすことが目的になることは、大きな目的は果たすために欠かせないことです。
 「より良い教育が目的です」と言われても、何をいつどのようにするのか、どうだったのか、答えられないと、改善も何もできないのです。
 「競争」や「評価」を低い次元にとどめているのは教師の戦略性・論理性の欠如によるもので、この部分については常に生き残る努力をしている企業から学べることが多い。
 抽象的なことばかり主張して生きていけるのは、大学の先生くらいでしょう。
 もちろん、教師が企業とは異なる教育のコンピテンシーもあります。それらを明示していければ、より信頼性が高まることは言うまでもありません。

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昭和の家庭史トリビア?【第37問】 
 昭和8年(1933年)の話です。
 この年,加賀・前田藩の子孫前田利建と黒田藩の子孫黒田政子が結婚しました。このとき,政子の婚礼家具が多く,運び込むのに相当の時間がかかったそうです。どのくらいの時間がかかったのでしょう。
 ① まる1日
 ② 3日
 ③ 1週間

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 【第36問の解答
 ①の三原山でした。東京市が心中防止相談所を開設し,悲恋による自殺防止が図られるようになったそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より